人生

やっていきましょう

創作に時間を費やす時間が増えてから不安になることが多くなった。不安については意識の持ち方を変える(不安を曖昧なものとしてではなく、言葉で説明できる具体的な概念に落とし込む)ことも必要だが、何かの作業に意識を集中させるということもまた重要だ。

不安が最も少なかった時期を思い返すと毎日APEXを何時間もやっていた。これにより解決不能な問題から意識を逸らすことが可能となり、ゲームに勝つことだけを考えていればよかった。問題は自分のストレスがより具体的なものとなったことで、その対象に怒りを感じるようになったということであり(不安に飲まれていた頃は怒るという感情すら起こらなかった)、そのためにAPEXから一歩離れるという決断をしたのだった。

今自分は不安を抱いている。しかしそのためにまたAPEXに現役復帰するつもりはない。毎日ランク戦を回してそのたびにストレスを感じることが苦痛だからだ。

こうしてみたらいいのではないか。まずは基本的に創作を優先する。作っている間に不安が生じたら、別のゲームか趣味で気を紛らわせる。それでも無理な時にはじめてAPEXを起動する。

実際この通りにやってみて、今日の不安はほとんど軽減された。ランクマッチも以前ほどの執着がほとんどないので幸いにもストレスを抱くことがほとんどなかった。また明日やりたい(やらなければ)と思うことがないのも良い。この距離感を記憶して不安軽減のためにAPEXをうまく利用したい。

 

物事を取り組むという姿勢を意識的に呼び起こさなければ何かを実行するという気にならない。当たり前かもしれないがこのことを最近忘れていた。

自分の中で無気力、自暴自棄が常識となりつつある。何も考えずに生きていると、何もせず、気ままに過ごすようになってしまう。そうした状況に甘んじる一方で危機感もあって、どうすればいいか悩んでいたが、とにかく自分の意識を呼び起こす習慣をつけた方がいいということになった。

確かに単発的に意識を向けることはできる。このままではいけないと思い、何かを行動する。しかしそれが成功したことで満足してしまい、再び無意識の世界に戻ってしまう。だから意識を習慣化することが重要なのだ。

自分が不安を抱いたとき、反射的に不安を対象化して具体的な問題として捉えることができるようになったのは、そうすることが習慣として身に付いたからである。これが単発の思い付きであったならば、1度は不安を退けることに成功するかもしれないが、おそらく長期に渡って不安とうまくつきあうことはできなかった。

意欲するということ、何か新しいことに取り組もうとすること、それらは心を壊していない人間であれば容易に挑戦できることだろう。しかし自分のような人間は、それらを意識という補助輪がなければ根付かせることが難しい。不安症で失敗を恐れヤケになってすべてを投げ出した自分にとって、意欲や好奇心は自明のことではない。しかしそれらができる人間が自分と異なる次元の生物であるというとそうでもない。結局のところ、彼らは物事を意欲するということを習慣によって維持・獲得している。

今日からひとつ自分の中で何かの目論見を意識をすることを習慣にすることを決めた。3年前、同じことをしていた時の自分を振り返ると恥ずかしく思うが、それでも当時はその習慣によって世界の一部が自分のものになった感覚があった。再び同じことを繰り返そうと思う。

 

自分はこれまで避けてきたが、実は重要なものだったと後になって気づいたものがある。忘れないうちにいくつか書き留めておこうと思う。

まずは【経験】。自分はこれまで経験というものを軽く捉えていた。自分は昔から現実で実現できるものはすべて思考の中で再現できなければならないと思い込んでいた。おそらく知性に対するコンプレックスからか、愚者は経験に頼るという妄想があった。自分はそこまで賢くなかったが、悔しかったので是が非でも頭の中だけで解決しようとした。

しかし経験を欠いた思考はしばしば現実から離れたものになる。例えば野球でバットを振るという動作がある。この「バットを振る」という言葉を自分はどの程度理解しているのか。野球経験のほとんどない自分にとって「バットを振る」という動作は「ボールが飛んできたらそれに目掛けてバットを当てる」ということ以上の情報を引き出せない。おそらくもっと賢い人間は、動作を細かく分割し個々を言語化した上で理解に統合させるのだろうが、それにも限界がある。なぜならその理解は自身の身体に基づいた情報を反映していないからである。

自分が頭の中で考えついたものと、実際バットを振るということには大きな隔たりがある。思考は情報を俯瞰したり整理したりする上では役にたつが、現実との反映の中で学び得る情報を自身に定着させることには向いていない。

自分は大きな過ちを犯していた。経験に頼らないから賢いだとか、思考を使わなければ駄目だという考えは間違っている。思考とは、ある一面において優れた効能、機能を有するものであり、それは経験においても同様に言えることだった。経験によって自分自身を現実の中に位置づけて把握することができるのであり、そこから試行錯誤や改善の糸口が見え、自分の目指すべき方向がより鮮明になるのである。自分が現在何をすべきかわからず、ただ考えることに逃げることしかできないのは、経験を欠いた人生を送ってきたからである。

つぎは【模倣】。模倣というと創作に携わる人間には癪に障る言葉である。それは自身のオリジナリティを追求せず、既存のものの後追い、二番煎じに妥協するという意味合いで使われることが多い言葉だからだ。

しかし模倣というのは、表現を研究する上で重要なものだと思う。絵の描き方、上手いセリフの運び方、何でもいいのだが、実際手を動かして模倣してみることで、その表現がいかに洗練されたものであるかを知ることがある。こうした気づきは自分の頭の中だけでは決して得られないと思う。先ほど自分は知性にコンプレックスがあると言ったが、独創性に対してもコンプレックスがある。だからオリジナリティに異様なこだわりを見せるのだが、結局のところそれは低質なものに落ち着くことが多いように思う。

なぜなら自身への執着は、自己を見えなくするという問題があるからだ。自分自身であろうとすればするほど、自分はいっそう自分自身に好ましい情報だけを取り入れ、自身と相容れない情報を排除しようとする。そしてそのことに自分で気づけなくなる。また自分に都合の良い情報ばかりに囲まれていると、自分に何も問題がないように思えてくる。現状自分が数少ないコンテンツから親しみを覚え、その世界で完結しているような浅い表現をただ反復しているにすぎないということを、自身への執着から気づくことは難しい。自分の好ましくない存在と衝突したときにはじめて、その事実に気づくことができるように思う。

しかしこうした異質な存在との邂逅を、自身の劣等感を刺激する材料に用いる傾向が自分にはある。慢心は悪徳だと日頃から自分に強迫し続けているが、それがかえって自分を委縮させ、自身の殻の中にこもらせてしまう原因なのではないかと思う。そこで最後に【自尊】である。これまで自分は自尊心を持つということをしてこなかった。自尊心を持つと人は成長をやめ、壁を登ろうとせず現状の肯定に甘んじると思っていたからだ。そう思わせていたのもやはり劣等感である。自分は劣った人間であるから、慢心などもってのほかであり、自分をどこまでも追い込んで無理をさせる必要があった。

だがその結果自分は壊れたのである。自分がもっと早くから自分を受け入れてさえいれば、こうはならなかったはずである。壊れた先にあったものは、自分自身という確固とした砦ではなく、あらゆる価値に振り回されて自身を見失い、自尊の拠り所を求めて彷徨う亡霊である。

自分を否定する中には自分が芽生えず、自分以外の基準、自分以外の理想にその座を明け渡すことになる。それらの価値判断に振り回される人生は苦痛である。自分に主体がなく、つねに世間に流されて生きていくことになる。

自分を受け入れるということは生きる上で重要であるように思う。自分を自分の制御下に置くことが、後々自分の人生を再構築していく上で役に立つ。自分の現状を知ればひとまずそこから何をすべきかが分かる。自尊心があれば他人に付け込まれる隙を与えず、誰かに振り回される必要がなくなる。

経験、模倣、自尊。どれも自分が退けるにはあまりに惜しいものばかりだ。自分はこれから何かを学び、ここから何かを引き出そうと思う。少なくとも得られるものはあるだろう。

 

 

先日のイベントがうまく機能しなかった。鳥と主人公を別々のマップにして移動したとき、画面が暗転したままになっていた。

原因がまったく分からなかったがようやく謎が解けた。問題はイベントの起動条件にあった。

自分はこのイベントを並列実行で起動していた。並列実行とはその名の通り、他のイベントと「並列」して実行されるイベントである。たとえばキャラクターにセリフを喋らせながら雪を降らせたいという時、天候エフェクトを並列イベントで実行するとうまくいく。

何が問題だったのかというと、マップ移動の際に並列イベントが中断されたということだ。マップ移動の直前まではイベントが実行されていたが、移動以後の処理はまったく実行されていなかった。自分はその前に画面の暗転処理を入れており、本来であれば照明がつくはずだったのが、マップ移動で中断されたことで暗いままになっていた。

これで解決したかと思ったが、更に問題があった。自分はシフトキーを入力して実行される主人公と鳥の視点移動のイベントを、個々のマップごとに配置していた。はじめはコモンイベントで一括すべきだと考えたが、コモンイベントでは個々のマップのキャラクターをうまく管理することができないからである。特に自分が主人公の時の鳥、鳥のときの主人公といったオブジェクトの扱いで、やむなく並列実行のイベントを各マップに配置していたのだが、この並列実行のイベントがかちあうことでうまく起動していなかった。

これは各マップの並列実行イベントをすべてコモンイベントで管理することで解決した。だがこれでオブジェクトを管理する方法を一から考え直さなければならなくなった。今からその解決を目指す。また進展があったら記事に書く。

数年ぶりにゲームの掲示板を見た。相変わらず身勝手な暴言に溢れていて何も変わっていなかった。面白半分で読みはじめたが、やはり気分が悪くなる。

自分の他者像はおそらくこうした掲示板の中から形成された。常に相手の弱点を掘り出して人格否定をする。お互いの間で合意や納得が得られることはなく、話はいつも誤解や曲解に終わる。自分は人とあまり関わらない人間だったので、他人は皆こんな人間ばかりだと思ってしまった。

その時から自分の人生は狂い始めた。自分は常に周囲の目に晒されている、彼らは自分の粗を探している。事あるごとに常に自分を罵倒しようとする。そうした妄想が自分の中で定着した。

敵意と悪意が渦巻く環境で自分が生きていくためには、自分は合理的な人間にならなければならなかった。理屈の通らない人間は真っ先に叩かれるので非合理的な言動は謹んだ。言葉に矛盾が生じないように言動を一貫させる必要もあった。相手の言葉が理解できないといけないので、言葉を知らなければならなかった。

興味深いのは、自分が一度もその掲示板に参加しなかったことだ。自分から喧嘩を売ったわけでもなく、自分が指をさされるような真似をしたわけでもない。ただ自分がある時標的になるかもしれないという不安。それだけが自分の中にあった。

不安から逃れるために自分は強くならなければいけなかった。自分が標的になった時に自分の身を守り、自分が戦えるために。また自分は成功し続けなければならなかった。落伍者として嘲笑されないために。こうした焦りと不安に駆られてがむしゃらに生きてきたが、その過程で声が出せなくなった。他人を目の前にすると掲示板に渦巻く悪意がちらつき、絶対に批判されない完璧な模範回答を2.3秒のうちに答えなければならないという危機感が走る。そして思考がオーバーヒートを起こし、まったく何も考えられなくなる。

今でも他人を目の前にすると、敵意や悪意を感じずにはいられなくなる。どれも妄想だ。しかしそれが自分にとっての現実だった。この妄想は自分のゲームに色濃く反映されている。自分がキャラクター間の罵倒に変なこだわりを見せるのは、未だに当時の妄想に対する適応の強迫を克服できていない証拠である(ギャグに仕立てたという点で相対化を試みているとも言えるが)。

妄想は妄想である。何をするにもまずそのことをはっきりさせる必要がある。

可能性は現実の出来事ではない。当たり前のことかもしれないが極めて重要なことである。可能性は起こるかもしれないことであって、これから起こること、起きていること、起こったことではない。可能性は無限だが、事実はひとつに収束する。他者の悪意が自分に向くかもしれないという可能性があった。実際には何も起こらなかった。

可能性と現実を分けて考えることが自分の正気を取り戻す上で重要だ。自分が不安の中で振り回され続けているこの可能性というものは、それが少しでも起こりうるものならば、どれも皆自分にとっては等しく起こるかもしれないものである(自分には確率を考えられる知能がない)。だから本来なら到底起こらないようなこと、例えば宝くじを当てたら賞金目当てに誰かが自分を襲うかもしれないと考えて、勝手に不安になったりする。

これは非常に危険な兆候だろう。本来結びつかない概念を可能性の名のもとに無理矢理繋げようとしているからだ。きっとこのまま突き進んだ人間が正気を失うのだろう。

際限なく可能性に思い巡らすべきではない。可能性は無限にある。無限に湧いてくる情報に振り回されていたら思考が停止する。思考に余裕を持たせることが重要だ。

余裕のある思考についてこれまで考えてこなかったが、できるだけ脳に負荷をかけない情報量で思考することを努めた方がいい。自分が人と話せている時、いずれも自分の思考を制御下に置いている感覚がある。これを再現する必要がある。

可能性は起こり得る出来事であれば何にでも結びつく。自分の性格上何事も悪い方向に考えがちなので、自然と雲行きの悪い出来事が頭の中に集まってくる。これを断つ。そうすれば自分ももっと人前で話ができるようになるかもしれない。

 

いつからかツイートすることができなくなってしまった。言葉が出ない。何を呟いて良いのか分からない。

呟きたいとすら思えない。自分の発言に自信がない。何かを言うことはできる。しかし何を言っても迷惑でしかなく、自分が馬鹿であることの証明にしかならない。

自分のタイムライン構成は極めて健全であり、日々の生活のささやかな幸せをツイートするような人間しかいない。彼らに向けてブログのような醜態を晒すのは気が進まない。

自分は自分の愚かさを隠すために沈黙し、他人の目を恐れるためにタイムラインを避けている。結局全部他人を意識している。それで身動きが取れなくなっている。

自分はもはや自分の居場所がないように感じる。自分以外が敵に見える。

ゲームの中で謎解きパズルを配置した。調べると謎解きの描かれたピクチャが表示され、別のイベントで入力欄に答えを打ち込むと扉が開き、先に進めるという仕組みである。

4章に入ってからこんな類の謎解きを作ってきているが、いまいち面白みに欠ける。直感的に思いついた問題をそのまま形にしているだけだからだ。参考にしようとtwitterの謎解きを見てみると、面白さも難易度もレベルが違いすぎるので落胆する。自分もこんな謎が作れたら面白いだろうなと思う。

いま作っているマップでは3つの謎が必要になる。2つは以前作った問題で、これらはやや完成度が高い。問題は最後の1つで、思いつきはしたが原理が単純で面白みがない。一度考え直してみたいと思う。