人生

やっていきましょう

30日目


今日は図書館に行かず家で本を読んだ。図書館が閉まっていたからだ。代わりに実家に転がっていた自己啓発本を読んだ。確かホリエモンか何かだった。自己啓発本は読んでいて楽しい。楽しくない自己啓発本自己啓発本ではない。気分が良くなってそのまま寝た。起きたら何の話だったか忘れていた。

自己啓発本の中身は奇抜なものではない。読んでいて分かりやすいのだから、誰でも分かるごく当たり前の内容だ。そうでなければ売れるはずがない。しかし誰でも思いつくような内容であればなぜ人は自己啓発本に諭されるまで自分で気づかないのだろう。きっと気づきはするのだろうが、自分で思いつくより誰かに言われる方がよりはっきりするのだ。自分がそうなのだからあながち間違いでもないだろう。説教は嫌だが誰かに教えを乞うというのは妙な楽しみがある。たとえそれが自分が元々知っていたことであっても。

ホリエモン自己啓発本というのは一貫しており、自分勝手に生きろ、否定するやつは無視しろ、嫌なやつからは離れろというものだ。書店に並ぶ他の啓発本と同じく、ようするに自分の人生を生きろということだ。今更言われるまでもないことだ。こんなものを読んだところで自分が成長した気になって終わるのが関の山だろう。そう思って自分は今まで自己啓発本はあまり読んでこなかった。

しかし最近になって自己啓発本の意義というものを捉え直しはじめている。自己啓発とはやる気の無い人間にやる気を奮い立たせるものではなく、やろうとしている人間のやる気を更に強化させるためのものではないか。確かに書かれていることは至極当たり前のことだが、自分が目指そうとしている道の正当性を確信するひとつの材料にはなる。やる気のない人間には当たり前のことしか書いておらずつまらなく映るのも当然だ。そこにはワンダーはなく、単なる確認行為があるだけなのだから。

つまり自分のようなハナから自己啓発本をバカにしてやろうと思ってる人間には全くの効果がない。本著で堀江が述べているように「斜に構えたら負け」というわけだ。確かにその通りだ。自己啓発本は元々自己変革を求め、本当になりたい自分を持っている人間を励ますためのものなのだから。やる気の無い人間はそもそも自己啓発本を読まないし、読んだとしてもバカにして終わるだけだ。

今自分は自分の人生を生きようとしている。自己変革を心から望んでいる。だから自己啓発本なんかに感化されやすくなっている。だが自分はそれをあまり悪いことのようには思わない。なぜなら自己啓発本に感化されようが斜に構えようが、世界には意味がないのであり、総じて人間に生きる価値などないのだから。信心深い人間でなければ自己啓発本ごときで虚無を払拭することはできない。これは主体の問題だ。自分がそういうつまらない人間なのだ。

しかし、だからこそ自己啓発本に対してわりとすんなり受け入れられる。皮肉なことだが、斜に構えすぎて360度回ってしまったようだ。先日も書いたが、自分には最近「敢えて」という態度が身についた。世界には意味がない。虚無はひとつの真理だ。しかし自分は「敢えて」自己啓発本を読んだり「敢えて」筋トレをすることができる。それは可能であり、実行することができる。人間はただ選択することしかできず、何を選んだところで滑稽さは拭えない。しかしそんなジョークでさえ、選択すれば自分の人生は回り始める。今日は自己啓発本というジョークを楽しんだ。糧になったつもりで今日のブログの出汁にした。