人生

やっていきましょう

33日目

具合の悪さは続いている。何が原因だろうか。昨日はとにかくダラダラ過ごした。習慣をこなしただけで1日が終わった。自分の心境に変化はなかった。やりたいことも見つからなかった。

習慣の意義について考え始めている。そもそものきっかけは生活習慣を正し、精神状態を安定させることにあった。自分が実現可能な範囲で興味があることを選択し続けることで、自尊心が向上し、やりたいことが見つかるという算段だった。

しかし習慣は、そう簡単に自分のやりたいことを与えてはくれなかった。これは自分に理由がある。自分は行動する前にまず考える人間だ。そして大抵の場合行動には繋がらない。リスクを取りに行けないからだ。自分の今までの過去の蓄積から成功経験が数えるほどしかなく、失敗すれば自分のメンタルに深い傷を負うことになるからだ。

自分はこれでも数々の挑戦をしてきた。挑戦する前から逃げるのが嫌だったからだ。しかし挑戦した分だけ心の傷も増えていった。どれも困難な目標だった。そしてその多くは自分の本心から望んだことではなかった。不本意な挑戦と過剰な努力は、自分の精神を破壊するのに十分だった。

失敗体験と不本意な挫折によって、自分は興味のあることに正面から向き合えなくなった。自分は望んでいない努力を我慢してしなければならないと今でも思っている。それは何でもいい。与えられた指示であれば何であれ我慢して努力しなければならない。こういう考えが自分の頭を支配している。

自分の興味を自傷して、なかったことにする。外部からの命令だけがすべてであり、課題の解決を第一に考える。自分は人間の心を持たないロボットだ。しかし自分の興味のないことを無理して努力し続けることにも限界がきた。自分は挫折した。そしてそれ以降、一度も立ち上がってはいない。

習慣は可能性に溢れている。映画や本を浴びるように吸収しているし、今ほど人生の方向性を考えるのに恵まれた環境はない。しかしそのひとつひとつが、好きなことを正面から向き合えない自分の歪んだ心によって拒絶され、自己否定の材料にされる。自分は間違いであるという確信を延々と強化される。だから習慣をこなすだけでは自分のやりたいことが見つからない。

自分のやりたいことをやることが最適であり、リスクを取りに行ける唯一の有力な動機になるというのはわかっている。わかっているのにそれができない。動機がないからだ。かといって自分の興味のない努力を続けられる力はもうない。唯一の免罪符は自分は今まで不本意な努力をしてきたというものだが、そう長くは通用しない。それを選んだのは自分なのだ。

自分は袋小路に立たされている。何もできない。自分がどこに向かっているかわからない。虚無を慰め、ただ情報をインプットする毎日だけがある。実際虚しい日々だ。それでも何か偶然があって、自分の方向が明確に分かるかもしれない。その僅かな可能性にかけて習慣とインプットを欠かさず行っている。それが正しい方向であるという自信はない。