人生

やっていきましょう

121日目

読書を再開した。サルトルの『嘔吐』を読むつもりが、オーウェルの『パリ・ロンドン放浪記』の方に興味が移り、そちらを先に読んでいる。オーウェルは卒論で扱った作家なので十分親しみがある。簡素な文体で読みやすい印象がある。

どういう話かというとパリとロンドンで極貧生活を送るというものだ。まだ最後まで読んでないが、自分が一番印象に残っているのはパリでカフェトリーの仕事をした時の描写だ。それぞれの客がそれぞれの注文を一度に投げかけ、休む暇なく対応し、ミスをすればコック長に怒鳴られ、それでも注文は止まず、こんな調子で長時間働いているというものだ。

こうした飲食サービス業の厳しさを見て自分は尻ごみしている。自分は社会に対して、話が通じないこと、不当に解釈され罵倒されることに恐怖を感じている。自分はこれらに立ち向かう術も強さも持たず、部屋の中に逃げるしかない。だが極貧状態の彼らはそれでも働いている。彼らには逃げ場がないからだ。自分はまだ逃げられる余地があり、そこに甘んじているという点で生ぬるい。彼らに比べれば自分は卑怯で臆病者だ。この点を十分理解しなければならない。

とはいえこの舞台が1927年頃というのもあり、ざっと90年以上前の話だと言える。その頃の労働環境に比べれば今の日本はまだマシな方ではないだろうか。それでも自分が仕事に恐怖を覚え何もできないのは、この話以前に自分の経験に依るところがある。

自分はアルバイトをほとんどしなかった人間だが、唯一サークルの紹介でいくつかアルバイトをこなしたことがある。そのアルバイトは特殊な作業で、また監督係が厳しい人だった。アルバイトの内容は同期の口で伝えられ、マニュアルはなかった。自分は情報を短期的に記憶にとどめておくことが難しい人間なので、不安とパニックになった。同期は慣れれば大丈夫と言ったが、初回で自分はひどく怒られた。また工事現場に近い環境音が鳴り響く場所で、人の声が聞き取りづらかった。それで相手の指示がよく聞こえないまま、自分なりに解釈して判断して、ミスを繰り返し、また怒られるという始末だった。

3.4回もすれば8割ほど業務は理解でき、それ以降はほとんどミスをしなくなった。自分なりにマニュアルを構成し、それらを暗記することに成功したからだ。とはいえ初回の躓きとパニックの記憶が自分の中にかなり深く刻まれたようで、それ以降仕事について話を聞くたびに不安を覚えるようになった。

思うに自分は責任感と不安が強すぎるあまり、完璧主義でならなければいけないと思っていた。常に極度な緊張状態にあり、失敗は許されないと考えすぎてしまった。そう思うことで余計に失敗をして、余計に叱られて、余計に不安に駆られ、余計に完璧主義になり、また余計に失敗するという負のサイクルに陥っている。自分は業務や監督官に対して誠実そのものなのだが、監督する側からすれば、不誠実で、何を考えているか分からない、信頼におけない人間、というように見なされていたように思う。

むしろ責任感が弱く、監督官に対してリスペクトを持たないような人間の方が、柔軟性があり、業務をスムーズにこなせている。不安を感じないということは、それだけ業務の遂行に貢献している。また失敗したときに自分と相手との間に信頼感があるらしく、監督官の方もどこか笑って許せているような感じがした。

自分はこれに対して不当だとは思わない。社会関係とは信頼の上で成り立っているし、裏表を使い分けることでうまく機能している。要は適応力の話だ。共同作業をスムーズに行うにはまず互いの信頼関係が必要だ。そして責任を一人が抱え込むのでなく、みんなで抱えるという感覚が必要だ。こうした適応に対する投資を周りにしていないから、自分のミスは周りがカバーしてくれることはないし、フォローしてくれることもない。自分個人に100%の責任が襲い掛かり、自分の脆弱な心はあっけなく穿たれる。

自分には他人と他人の間に入り込む適応力がない。いくら自分が責任感100%、完璧主義100%、誠実さ100%であったとしても、そうであると相手に分からなければ、自分は何をしでかすか分からない人間でしかない。

そういうわけで、自分はどの組織に所属しても同じような扱いを受けることになるだろう。そういう思いが余計に自分の不安を煽り社会参加を困難にする。そもそも相手が信頼における人間かどうかという点で、まず面接で弾かれる。面接官は自分の不安とぎこちなさ(こういった印象をプレコックス感とでもいうのだろうか)を見抜き、過去に類似した印象を与えた従業員が、先に述べた理由で、どれほど効率の悪いパフォーマンスをこなしてきたかということを記録している。それで労働力にならないという理由で弾かれる。

こうした諦めもあって、自分は社会参加ができないことを悟り、塞ぎこんでいる。これを甘えと言われれば確かにそうなのだが、自分は適応の努力を放棄せず、懸命に対処しようとしてきた。それで不用な傷を負い、挫折したという感があるのだが、これを言い訳にして働くのを拒否したいというわけではなく、純粋に今、傷が深すぎて立ち上がれない状態にある。

 とにかく今は自分を強くするしかない。今回読んだ『パリ・ロンドン放浪記』は自分が抑え込んでいたトラウマを正面から向き合わせたが、それに怖気づき、現実から目を背こうとはしなかった。自分の弱さを直視し受け入れることが自分を強くする。今日はいい経験をしたと思う。