人生

やっていきましょう

123日目

山積みにされた本の中に面白い英語のワークブックがあったのでそれをやった。イギリス全土の文化について書かれていた。扱われている題材は極めて初歩的なものだったけれど、内容が面白くとても興味深かった。読んでいるうちに自分が小中学生に戻った気分になった。あの頃の自分は色んなことに対して好奇心でいっぱいだった。何でも進んで学ぼうという姿勢があった。今はこんなことを知って何になるという思いが強い。それで結局学ばないということが多くなった。

学ぶということは本来楽しかったことのはずだ。だがいつからか、自分は学びを疎ましく思うようになった。これにはいくつか理由があると思うが、一番の理由は自分の受験にあると思う。自分の実力に不相応な知識量を短期間に詰め込み過ぎた結果、知的好奇心よりも点数に囚われるようになった。何点取れたか?偏差値は?こんなことを繰り返して自分はもう勉強が嫌になった。とにかく暗記が嫌だ。だから大学では暗記テストは取らず、ほとんどレポート課題の講義ばかり取るようになった。

大学では高齢者が老人ホームで学ぶような態度で臨んだ。ガツガツと知識を習得していくのではなく、自分の心の平穏と気休めのために講義を聞き流した。この聞き流すというのが自分にとって心地よかった。自分の死にかけた好奇心を看取るような気分だった。とにかく自分はもうまもなく死ぬのであり、大学はそのための余暇だった。

自分の好奇心が完全に死んでしまったのは2018年で、これはもう何度も繰り返して言う必要がないだろう。とにかくそれ以降、自分はすべてが無価値であるという考えに支配されている。何も楽しいと思えず、何もする気がない。だから今回、何の変哲もないワークブックでそれがふと回復したことには少し驚いた。一瞬だけだったが、そういう気分があったことを思い出させてくれた。

これはやはり自分が主体的に動いた結果だろう。たとえ身近であれ、何かを求めて行動したことで、たまたま自分に良い結果が働いた。そういうこともある。それで自分が劇的に変わったわけではないが、自分がもしすべてを諦めて、何も行動しなかったら今回のことはなかったかもしれない。

主体的に動くことを絶対視するつもりはない。主体的に動いた結果失敗したり死ぬことだってある。だが思えば、自分は主体的に動いたことなどほとんどなかったのではないか。たとえば大学ではほとんど何もかも受動的だった。与えられた教材に自分を委ねた。就活も院試もそうだった。努力したとはいえどこか仕方なくだったし、本心が伴っていなかった。

今回の気づきは自分に主体的に動くことのメリットをより明確に教えてくれたとおもう。ひとつの教訓にしたい。