人生

やっていきましょう

183日目

精神が不安定になることが増えた。運動不足が原因だと思う。読書に夢中で運動をすることを忘れていた。もう一度再開させようと思う。

ここ1.2週間同じようなことを書いている気がする。何か新しいことを書こうと考えているが、何を書けばいいか分からない。そろそろネタが切れてきた。

大抵の日記みたいなものは、その日のうちの感情の流れや事実を書いて終わりということがほとんどだ。自分が今まで書きすぎていたというのがある。

そういうわけで今日あったことを軽く書こうと思う。

今日は朝8時に起きた。このところ、1時に寝て8時に起きるというのが普通になってきている。朝起きて朝食を取ったら創作を2時間ほどやる。そのあと昼食を摂ったら18時まで図書館に籠る。帰ってきたら家でパソコンをするという感じだった。

図書館では先日書いたような「なつかしさ」に導かれて別の本を借りてきた。鷲田清一の『濃霧の中の方向感覚』という本だ。ただ教科書で見た著者だからという理由だけで借りた。比較的読みやすい文章だった。

内容は世界の向かうべき方向が分からない時代なので一緒に問題考えていこうみたいな感じだった。前半を読んだばかりでまだ何ともいえないが、ああこういう感じのことを言う人だなと思った。「のっぴきならない」という言葉が好きらしく、よく使っていたのを思い出した。それに文章は丁寧語だった。

教科書の内容よりは少し難しいことが書いてあった。社会のテーマではサービスの話をしていた。以前社会は自分達で家事や掃除や洗濯や葬式を行っていたが、経済の発展によりそれらは国家や企業のサービスが担うようになった。と同時に経験から得ていた個人個人の知恵は代替されるようになり、自分達で再現することができなくなってしまったため、消費者はただクレームを言うしかできなくなったという話だ。

こういう話を読んで自分はなるほどと思ったけれど、それが自分の何の助けになるのかということを考えてしまった。こういうことを考えるのは間違っているのかもしれないけれど、自分が今完全に社会から完全に分断されている状況で、社会のことを考えるということができなくなっている。遠い世界の話を読んでいるようだ。以前はもっと自分の身として考えられていたのだが。

自分の受けた傷は相当に深いようだ。これらの問題はどれも興味深く、考えなければならないことなのだけれど、どれも自分のこととして読むことができていない。はたして自分はこうした状態で本を読み進めるべきだろうか。単にかつての郷愁を味わうためだけには読みたくない。読むなら今の自分を発展させる目的で読むようにしたい。

 

とはいえ、読書の間ひたすら覚えているこの離人感は、自分にとってひどく苦痛だった。かつてそうだったようにのびのびと読みたいと思う反面、すべてが無価値であるという自分の本心がたちどころに顕れる。悲観はあまりしたくない。だが読んでいるうちにどんどんつらくなってくる。