人生

やっていきましょう

188日目

とにかく年末に近づくと何かが起こるという気配で満たされる。クリスマスもそうだし、大晦日もそうだ。それが過ぎ去った後には毎回何もなかったと知るが、次の年には同じように何かが来るのを待っている。

これらの機会に対する期待は、日本の恒例行事になっている。そのときの機運の盛り上がりに、自分も擦り寄ってみたいと思う気持ちが度々起こる。何かワクワクするような気分になる。だけど何も起こらない。何も変わらず、またいつもの日々が始まる。

こうした期待に自分はもううんざりしている。結局自分は何も変わらない。よき人々の祝日への期待、人と人とのつながりを再確認しあう喜びの時は、自分にとってもはや何を意味するものでもない。

だからと言って冷笑仕草をすることにも飽き飽きしている。クリスマスはキリスト教の行事であり、クリスマスの盛り上がりは単に商業戦略の一環であると示すことにもうんざりしている。大みそかは12月31日という今年最後のビッグイベントであり、その直後に新年が到来するという特別な日だけれども、それらは単なる数字の移行であり、昨日から今日に変わったことと何ら変わりない、ということを指摘することにもうんざりしている。それらを面白がることにも、もはや意味を見いだせない。

感情が平坦になるにつれ、今日という日が永遠と繰り返されるという認識になっていく。何かが起こるという期待は年々薄れてくる。小さい頃、自分は誕生日に何かが起こるという思いを抱いていたが、今ではもう何も思えない。自分が誕生したという事実は、自分の誕生を祝福する契機にはもはやなり得ない。同様に、ゴールデンウィーク、お盆、夏休み、シルバーウィーク、ハロウィーン、クリスマス、正月などといった一連のイベントにも、自分を肯定する契機を見いだせない。ただ疎外感とともに、かつて祝福されるはずだった1日が終わっていく。