人生

やっていきましょう

200日目

スマートフォンの写真を整理する機会があった。画像は古いもので2年前のものがあり、今までどういう経緯を歩んできたかを写真で振り返ることにした。

当時写真を撮り始めたのは理由があった。丁度大学4年になるという頃で、自分自身を見失っていた時期だった。今まで自分が何者であるかという答えを漠然と与えてくれた社会から始めて断絶し、自分自身が何者であるかを自ら問わねばならなかった。社会人になることに失敗した原因はまさにそこだった。自分がどうしたいか、何者になりたいかという答えが欠落していたのだ。そういうわけで自分を自分で定義づける必要が生まれた。自分が何をしたか、どうしたかったかを写真に残そうとしたのだ。

一番古い写真は高尾山の頂上だった。あの時自分は精神の極限状態に陥っていた。いつ自殺をしてもおかしくなかったが、結局はそうしなかった。自分の意思で自分の行きたい場所に着いたことで、初めて自分というものを自覚した。そういう契機だった。

次に都内の写真がでてきた。自分は東京の大学に4年間通っていた。にもかかわらず、自分の知る東京はほとんど通学路にある地下鉄の中だけだった。そういうわけで東京を再発見しようと思ったのだった。本当は大学1年生の頃に、サークルの先輩に紹介されながら和気あいあいと確認すべきことだったかもしれない。そういう人たちが現に大勢いる。だが自分にはそれができなかった。とにかくこの4年間、自殺のことで頭がいっぱいだった。

東京という大都会に、自分はいくばくかの夢を見ていた。それは今でも尚色あせることはない。東京は孤独を抱擁する。都会の孤独は常であり、孤独を前提とした社会設計がなされる。そこにいる人間が誰で、何をしているか、ということがそれほど重要なことにはならない。ここでは個人主義というものがまさに先進的であるように感じていた。

だが結局、自分が何者であるか分からないまま都会から追い出された。地元に戻り、部屋の中で何かが変わるのを待っている。自分は地元を離れたくて懸命に努力したが、それがかえって自分を見失わせ、あれほど求めていた都会の孤独が自分の精神をかき乱した。自分が誰だか分からなくなった。そして傷心し、地元に戻った。だがそれほど悪くはない。都会で過ごした4年間の生活は、自分が東京の人間であるという自覚を芽生えさせた。適性と愛着を自覚した。だから自分の意思でいつでも東京には戻れると思っている。問題はそれがいつか、ということだが。

都内では皇居周辺を好んで撮影した。皇居周辺には強い思い入れがある。自分はよくその道をランニングしたものだった。九段下の靖国神社から始まり、最高裁判所前、国会議事堂前を通過し、桜田門皇居外苑を経ると丸の内のビル群が見える。都会の中枢であり、一番見栄えがする。その先に東京駅があり、ビルの間をかいくぐると新聞社や美術館があり、元の九段下駅に戻る。こうしたルートを何度か走った記憶がある。

また上野にも愛着がある。上野公園を中心に美術館や博物館が立ち並び、何度も足を踏み入れた。都内の大学生だったので、それらはほとんど無料で利用できた。それで利用する機会が多かった。だがその時はすでに絵画に対して、あるいは何等かの遺物に対して強い関心を抱くということはなかった。とにかく自殺の思考はあらゆる関心を失わせる。かつてそれらに抱いていた素朴な愛着は、今ではもうほとんど残っていない。だがそれでも、最後に残っている関心の残滓が、かつて自分の気を惹かせたものの前に連れ戻す。こうした望郷の感覚が高齢者の嗜み方と被り、おかしみを感じた。自分はまだ20代前半だ。

東京は都会だけではない。高尾山がそうであるように、奥多摩の良さもある。高水三山に行こうと決意したときは、多少の高揚を感じていた。地方から都会に身を置きながら、都内に身を置かず山に帰るというのがなにか背徳であるように思われたからだ。贅沢な裏切りだ。山には見慣れていたが、登ったことはない。だから今まで地元では近くにありながら遠くに感じられたものが、遠くにありながら近くに感じられるようになった。実際はそれほど遠くはないが。

軍畑駅から高水山に入り、そこから岩茸石山へ行き、惣岳山に向かう。そこから下山して御嶽駅に入る。軍畑駅から御嶽駅までまるまる1日かかった。無計画の思いつきだった。だがそれでよかった。いちいち計画を立てていたのでは、自殺の思考に消耗されていたからだ。今の状態では到底考えられない突飛な行動を、この頃はよくやっていた。

こうしたことをすることが何かを取り戻しているように思われた。本来あるべきだった未来を取り戻すとでもいうのか。実際そんなものはない。仮に自分の人生に何ら障害を持たなければどうしていたか、というシミュレーションにすぎない。小さい頃に夢想したやりたいことリストを、あの頃の熱情を持たぬ今、清算の意味で粛々と行っているようなものだ。つまりもう、こうすることでは自分の心に満足を与えられない。あるべき未来を実現するにはあまりに遅すぎた。

1年経った今振り返れば、もう素朴な感情からはできないだろうなと思うことがいくつかある。たとえば2018年のワールドカップで日本を応援するときの感情は素朴だった。だが2019年を経て2020年にもなれば、もうそんなことはできないだろうと思う。どこか距離を取り、諦めた気持ちで眺めることしかできない。頑張れニッポンから、勝てば面白そうだな、という感じになった。東京オリンピックもそうだとおもう。勝手に騒いでくれてるので関心を持つだけは持ってやる、といったところか。日本が勝てば面白いなとは思うが、別に勝つことでことさら愛国心が芽生えるというわけでもない。同様に、山に登ったときの感動、初めて丸の内の中から東京を見たときの高揚、というものは今では得難くなっている。それは環境に慣れたからというよりは、感動に勝る失望を一斉に受け入れたからである。自分はもう救われないと悟ってから、自分はどこか冷めていた。

これらはかつて自分が何を望んでいたか、ということを提示するのに大いに役立った。だが精神の状況が決定的に変わってしまった今、それらの情報が何ら意味を持たなくなってしまっている。かつて自分は東京という街に期待を寄せていた。東京に関して観光の魅力を持っていた。自分の人生を自分で生きるという幻影もほのかに見えていた。だがそれも終わりだ。自分は今何も望んでいないのだ。何かを望みたいと必死に願っても、自分の中で望みは何も生まれない。ただ休ませてくれという言葉だけが聞こえる。それすらもいつか聞こえなくなるのだろうか。

唯一の希望は東京が今も変わらずそのまま残っているということだけだろう。自分のものの見方、価値観次第では、東京は相変わらず自分のこころのふるさとであり続ける。だがそうした幻影を抱くためには、自分に都合よくなければならない。自分の価値観を自分が信ずるに足ると思わなければならない。だが今の自分にそれはできない。そういう人間には、挫折を知らなければなれていたのだろう。