人生

やっていきましょう

209日目

今日は表現の「演出」について触れる。素材の演出は、ゲームのデザインであり、プレイヤーに強い印象を与える。そのためどのような演出を選ぶかということが重要になってくる。今回はそのいくつかについて考えていきたい。

 自分は創作に関していえば何かと壮大な構造を描くような人間だ。今回も例に漏れず、壮大なテーマに豪華な演出、それでいてゲームとして優れた体験を経験させるという野心を抱いていた。頭の中で。

一晩寝て冷静になって考えてみたら、それがいかに荒唐無稽かということが分かった。これまでの経験からいって、壮大な物語を完成させるにはそれだけ時間と労力がかかる。書き慣れている小説ならそれでもまだマシな方だが、GB Studioという使い慣れない機材を駆使した初めての試みであるならば、それらの崇高な目標は実現する前に折れてしまう可能性が高いだろう。

自分はこれまでの数々の失敗の中から、多少は現実的な目線を持つことを学習してきた。今回もそうするつもりだ。自分の実力に見合った、より実現可能なレベルのゲームを制作する。だが太郎君がおつかいで隣町まで買い物に行くだけのゲームではつまらないだろう(これはこれで興味深いが)。実現可能なレベルではあるが、ゲームとして面白いものであるという最低限の条件は達成したい。

まずはゲームの方向性について考える。先日触れた通り、このゲームには戦闘要素がない。努力をすれば実装は可能になるだろうが、そこまでレベルの高いことはしたくない。またシステム上の関係で、RPGの形式になる。そうなると自分が選択できるジャンルというものが限られてくる。

その中で自分が作りたいと思うのは「ゆめにっき」のようなゲームだ。

自分がGB Studioの存在を知ったとき、まず初めに思い浮かんだのは「ゆめにっき」だった。これは先日のツイートで紹介した「ヨルノカソウ」というゲームが幾分「ゆめにっき」を踏襲したものになっていることに由来する。自分がこれから作ろうとするゲームも自ずとそうなってくるだろう。

「ゆめにっき」のようなゲームとは具体的にどういった特徴を指すのか。まず第一に「アイテムを集める」ということ。次に「世界について多くを語らない」ということ。そして「脈略のない独創的な世界を歩き回ること」だ。

 「アイテムを集める」ことは、戦闘要素のないGB Studioのゲーム開発に適している。アイテムを集めるということには十分ゲーム性を持たせられる。プレイヤーに明確な目標を意識させやすい。問題は原作の、アイテムによって外観や行動を変えられるというシステムだが、その実現はあまりに困難だと思う。だが単に使えないアイテムを集めるだけでは意味がない。集めたアイテムをどう使うのか。そこにどういう面白さがあるのか。これらの点が自分独自の課題となるだろう。

「世界について多く語らない」というのも GB Studioには最適だ。自分がブログで書くような長文をゲームで表現しようとすると途端に難しくなる。GB Studioにおいて日本語が描写できるのはひらがなとカタカナに限定されている(これは元々付属しているものではなく、有志の素材である)。だからこそ、必然的に誰にでも理解できるような内容と分量に限定される。

「脈略のない独創的な世界を歩き回る」というのも理想的だ。GB StudioはウディタやRPGツクールのようなマップチップで描写するのではなく、GMS2のように、予め設定された背景にシステム上で当たり判定を設定していくというものなので、世界のより自由な表現が可能となる。

これらの前提を制作時には意識したい。だが「ゆめにっき」ほどの量を演出することは難しい。せいぜい20分~45分くらいでクリアできる量にしたい。だから本心を言えば、別に太郎君が隣町におつかいに行くだけのゲームであってもいいと思う。それくらい単純な目標を与えた方がいいだろう。

方向性は定まった。次に素材の演出について考えたい。

素材についてはあまり凝ったものを作るつもりはない。だからこれまでの経験で対処し得るものを素材にする。だが今回は四角四面の素材に限定したくない。より自由な演出を作ってみたい。家や家具が現代的な設計に基づく必要はない。道路がまっすぐに整備されている必要もない。そこにありえないものがあってもいいと考える。そういう自由な発想力をどう表現できるかが今回の目的であって、素材の精巧さは二の次である。

現時点で具体的な例を挙げることはできないが、どこにも存在しない世界を表現するということには比較的強い動機がある。問題はそれがどこまでできるか、ということだが、自分の設定する目標は自分の実力より少しだけ高いレベルにするという慣例に倣い、できるところまでやろうと考えている。

しばらくは「Aseprite」と向き合いながら、どういう背景、どういう素材が作れそうかを自由に考えたい。表現や演出は必ずしも目標を設定できるものではないので、今まで通りに合理的な問題解決のプロセスを踏むことができない。だがとにかく実践を積むことが重要だ。今はまだ見えないが、経験を通じて何か見えてくるものがあると思う。