人生

やっていきましょう

210日目

今日は作業を休む。明確な目標を設定できなくなってしまった。こういう時は作業から距離をとる。十分な休息をとって明日から作業を開始したい。

今日はこれまでの作業を振り返って、自分がどう感じてきたかを記録する。

まず明確な目標が設定できている状態では、精神的に不安定になることがほとんどないということが分かった。自分が何をすべきか分かっていて、そのことだけを考えていられる。他の雑念が入る余地がない。だから1日1日を問題なく過ごすことができていた。

作業をしている間、創作をすることに意味があるのかということについて考えることがあった。この点に関しては半ばあきらめていた。自分はもはや創作が意味のある作業であるとは思えなくなっているが、意味がなくても作業はできる。実際、作業をしていくうちに楽しくなってくる。そうなると意味があるとか無いとかは、あまり重要な問題ではないような気がしてくる。こうしたふとした忘却に身を任せて、無意味の問題に戯れるという態度が自分には多少身についてきた。

つぎに問題解決の取り組み方に慣れが出てきたと思うようになった。今まで取り組んだことのない問題であっても、まずどうすればいいか大体わかるようになった。最も基本的なことは、自分にできることとできないことを正確に見定めること。できない問題は無理をしない。まずはできる問題から取り組む。また、できない問題であっても解決が緊急である場合には、できない問題を細分化して、その中でできることを実行する。それができるようになったとき、大抵ワンランク上の問題は挑戦できるようになっていると思う。

こうした問題解決の姿勢を維持してきてから、自分の心の中に湧いてくる恐怖というものを多少は相対化できるようになってきた。つまり、まったく取り組んだことのない問題に取り組むときに感じる恐怖は、漠然と全体に抱く恐怖から部分的で具体的な恐怖へと解釈しなおすことに成功した。これにより自分が抱いてきた恐怖の大半が誇大妄想であるということが確認できた。その結果以前よりも行動がやりやすくなった。

今までは、たとえば絵を描こうと思っても描くことができなかった。それがふとしたきっかけでとりあえずやってみようと思った時、必要な機材を買い、必要な情報をネットで収集し、実際に何かアクションを起こすことができていた。これは今までの自分では考えられないことだった。無論、自分にとって難易度が低い問題ばかりに手を出しているのだからできないことはないのだが、自分が2018年の頃よりもずっと行動的になっているということは事実だ。この1年で自分も変わってきたのだろうか。

こうした小さな積み重ねが、簡単なレベルの問題なら容易に解決し得るという自信を生み出している。簡単というのは、精度が杜撰であり、期限が設けられておらず、あまり深く考えずに取り組めてしまう問題だ。この程度であれば問題なくできる。頭の引き出しからいつでも解決策を引き出せる状態にあり、問題解決の再現性がある。それを踏み台にしてより複雑な問題が想定可能になってくる。

この時はじめて挑戦すればよかったのだ。想定が行き及ばない段階で難しい問題に取り組むというのは、あまりに破滅的だ。難しい課題を取り組むためにはまず基礎を固めることが重要だった。当たり前のことだけれども、理解するのは難しい。

とりあえずこれから先の人生で何をどうするにも、こうした問題解決の態度を忘れないようにしたい。すべてが不可能であるという妄想を学習と実践によって打ち払うことができれば、少なくとも以前よりは生きやすくなるだろう。世の中すべてが合理的にうまくいくものばかりではないが、ある程度の局面では合理的な判断が役に立つのも事実だ。要するにこれらは生きることへの自信に直結する。