人生

やっていきましょう

237日目

習慣2日目。すべてのノルマをこなした。朝食を食べ、運動をして、そのまま風呂に入ることができた。

朝食を食べたことで1日の活動に余裕が生まれたと感じる。当たり前のことだが、朝食を食べればその分エネルギーが蓄えられる。今までは活動の方を節約して済ませてきたが、改善可能な部分を改善することで、公道可能範囲が広がるのであれば修正しない理由はない。

運動は慣れていた頃よりは苦しいと感じた。やはりブランクが長かった。全体的にハードな運動を繰り返すので息切れを起こしそうだった。だが腕立て伏せに限っていえば今まで感じたほどの苦しさを感じなかった。一番苦しかったのが腕立て伏せだったので意外だった。自分が思うほど基礎体力は落ちていないのだろうか。そういえば筋トレはしなかったものの、積極的に歩くことはしていた。そういう部分でカバーできていたのかもしれない。

風呂はうまくいっている。運動の直後に入ることで風呂が面倒だと思わせない。この工夫が生きた。この習慣から風呂は面倒なタスクからリフレッシュの機会であると認識できるようになった。正の動機付けだ。風呂から出たらそのまま歯を磨いている。今までのように歯磨きを個別の作業として行うのではなく、一連の流れに置くことで、寝る前のスナック菓子や飲料水に手が及ぶことを防いでいる。一度磨いた歯を汚すのは惜しいと思わせる工夫だ。

また風呂からあがった後はだいたい眠くなる。これも工夫だ。一連の流れの帰結として眠くなるようにしている。結果、そのままゲームをしようと思わせるのを防いでいる(この点に関しては効果は強いといえないが、動機を減らすことには役立っている)。

習慣を戻したことで事態が単純化した。自分の意識が不安や恐怖といった抽象的な問題から、肉体的な痛みや感覚的な癒しといった具体的なものへと推移していった。簡単に言えば自分の関心が「自分はなぜ生きているのか、なぜ苦しみ続けなければならないのか」といったものから、「運動きつい」「風呂でさっぱりした」「ねむい」といったものに移行した。自分が生きるということが、痛みやリラックスの前ではもはや自明のこととなっている。

自分が創作するうえでこれほどつまらない事態はないが、関心を現実的な範囲にとどめておくことは精神衛生上良いと思われる。ともかく、こうすることが現状の最適であるという認識は強化された。やはり習慣は続けるべきだ。

 

ところで新たに音楽を作曲した。スマホに元々ついているGarageBandを適当にいじっていたら偶然発見した音律があった。自分の関心を惹いたのでそのまま曲にした。

 曲の構造は単純だ。前半部を2回繰り返し、後半部を2回繰り返している。最後に少し変化を加え、そしてまた最初に戻る。前半部は階段のように旋律が降りているが、後半部は同じように階段を上がっている。それで整合性の取れた曲ができている。

旋律は3つ採用した。だが3つのメロディが3つとも旋律として独立しているのは新しい試みだった。こうした試みは大抵の場合リズムの不整合を生んだり音の過剰から「くさみ」を増す要因にもなりかねないが、偶然とすべてがうまくかみ合い曲として問題なく聞けるようになった。

当初のイメージとしては中世の吟遊詩人が語るような静かな旋律を意識していた。だが旋律を加えることによって、とくに低音の旋律が加わったことによって抒情性が増し、雪国と郷愁というイメージを自分に抱かせた(これは「ドラゴンクエストモンスターズ2 イルの冒険/ルカの旅立ち」の「雪と氷の世界」の曲調に近い)。

 後半部の副旋律にやや物足りなさを感じるとはいえ、概ね満足のいく出来に仕上がっている。ただほとんど偶然の産物であり、今後の作曲のハードルを上げてしまったことは自分にとって難点であるように思う。これは実力以上のものと戒め、今後はもう少し難度の低い曲を作っていきたい。