人生

やっていきましょう

268日目

自分が何らかの形で躓いたとき、まず方針が定まっていないことを疑う。大抵は無計画に事を進めているので、とりあえずは最低限の計画を立てるように方針転換する。

つぎに基本となる方針を立てていてもうまくいかない場合がある。その時は問題のどこかで不具合が生じているのだと判断する。

不具合には認識できるものとそうでないものがある。認識できない場合は自分の至らなさを認めて諦める。認識できる場合は解決に臨む。

方針の修正を図るとき、改善すべき点が分かっていながらうまく変えられないときがある。これはほぼ8割方、今までの慣れたやり方を修正したくないという思いから来る。修正にためらいがない部分は容易に改善できる。だが扱いに慣れてしまい、僅かな恩恵を持続して得られているような部分は改善が難しい。

ゲームがその好例だ。スマブラなど、多少の好意があり自分のやり方に拘ってしまうようなゲームはうまくいかない。ほどほどにうまくいくことが自信につながっているからだ。そこから飛躍ができない。反対にそれほど愛着もないどうでもいいようなゲーム、AoeⅡやBesiegeなどは改善が早い。自分のやり方に拘りがないからだ。失敗続きで何の恩恵も得られておらず、また得られなくてもいいとも思っている。だからどこか冷めた態度でありながら、改善に抵抗がない。

修正に関して自分が抱く不安は次のような経過をたどる。まず何らかの問題点が明らかになる。それで改善の道筋が見えてくる。あとは修正を実施するだけとなる。そのとき不安を覚える。方針を変えたことによって、いま受けている恩恵を失うことになったらどうするのか。それどころか、損失を抱えることになったらどうするのか。変更に際して有益であるとする確かな根拠を自分は持っているのか。自分は何も答えられない。なにかを変えることに自信がない。じゃあ何もしない方がいいだろう。その方が失うものは少ない。これ以上無用な傷を受けたくないだろう。本当は自分自身に安心したいのだろう。ならばこのまま黙って穏便に過ごすことだ。少なくとも、自分はいま恩恵を受けているのだ・・・。

この妄想にはひとつ欠けている視点がある。それは修正が現状維持以上に有益である場合があるという可能性を見落としているということだ。現状維持によって手慣れたやり方という安心感は得られているが、その先にある有益な手段を得ることはできない。

たとえばAoeⅡでShiftキーを押しながらユニット生産ボタンを押すことで5人同時に生産をストックすることができる(このゲームは生産ボタンを押すことで一定時間待機した後ユニットが生産される。ストックされているといちいちボタンを押すことなく自動的に次の生産が開始される)。またユニット生産施設をダブルクリックすることで、視界にあるすべての同種の施設を選択することができ、ユニット生産ボタンを押すことですべての施設から同時にユニットを生産できる。

この2つを組み合わせることで、ユニットの生産が飛躍的に効率化される。たとえばユニットの施設が5つあったとする。ひとつの施設をダブルクリックし5つの施設を選択したのち、shiftキーを押しながらユニット生産ボタンを1回押す。すると一定間隔で5体ずつ、5回ユニットが同時に生産される。たったこれだけの操作で25体の生産が完了する。

この方法を知らなかった場合、5つの施設のひとつひとつを開いて、それぞれユニット生産ボタンをカチカチ押すことになる。これ自体は難しいことでもない。ただこのゲームはマルチタスクが基本であり、あらゆる方面の内政を発展させながら対外戦の準備をしなければならない。そういう時に、いちいちすべての施設をカチカチやるのは時間のロスだ。非効率なやり方で足を取られている間に、敵が攻め込まれてパニックということにもなりかねない。また5つの施設を個別に管理していると、開発し忘れている施設というものがどうしても出てくる。そもそも5つの施設を同時に置くという発想が無ければ、1つの施設で25体のユニットをストックしなければならない。1つでも5つでも生産にかかる時間は同じだ。だから相当の時間のロスになる。

自分は方針を修正することで莫大な利益を得るという経験を何度もしてきた。たかがゲームだが、有効な手段をすぐに採用することで今まで自分が見えてこなかった方向性への気づきが得られた。手段が効率化されたことで素早いアクションを起こせるようになった。

だがこういう経験をして尚、修正に対する嫌悪感は残り続けている。これは感情的な問題であって、安心が得られないことに対する不安でしかない。しかし無視できない問題だ。自分はどうしても極力変えたくないのだ。自分が安心できる数少ない自分らしさを、効率のために捨てたくないという思いが先行する。そしてその安心を求める思いは分野を問わず発生する。それが自分の前進を妨げる。

賢い人間は、自分らしさに対する飢えを勝負所に持ってくることはない。自分が自分であると安心できる根拠は別のところで満たしている。いかにそうした私心を排除して修正を受け入れ続けられるか、そしていかに優れた方法を維持し続けられるかというのが問題だ。自分にはそれができていない。

自分に今できることといえば、修正による成功体験を積むことくらいしかない。とにかく僅かでもいいから、自分が今まで取り組んだことのない問題に取り組み、誰かが考えた優れた方法を積極的に採用し模倣するという習慣をつける必要がある。そうすればとりあえず現状維持から、とりあえず修正しようの比率が高まるだろう。