人生

やっていきましょう

297日目

最近ゲームに対する取り組み方や態度が変わってきたと感じる。今までは惰性でプレーしており、その場その場の状況をなんとなくやり過ごすだけだった。うまくいかないところはいつまで経ってもうまくいかず、原因が分からぬまま失敗が続くので、次第にイラついて何度も挑戦を放棄してきた。仕舞にはたかがゲームだと自分を納得させる始末だった。

今回久しぶりにダークソウル2やブラッドボーンといったゲームをプレーする機会を得た。ゲームの難度は非常に高く、敷居が高いゲームだといわれていた。自分も買った当時は下手なままで、味方大勢を引き連れてようやくクリアできたという始末だった。しかし今回はソロプレーをやっていても、案外うまくいっている。

自分でもどういうことか分からなかった。ひどく苦労した経験があり、ゲームを始めたことで新たなストレスの種になるのではないかと思っていたからだ。そこで少し考えたところ、かつての自分にできなかったことが今の自分はできているということに気がついた。それは常態的な分析だった。

自分はボスを倒す際に、自然と次のことを意識していた。ひとつはボスの動きがパターン化されていること。もうひとつはヒットアンドアウェイに従うということだ。

以前はまったく知らなかったことだが、ゲームはゲームなのだ。常に不規則で不安定な状況が続く訳でなく、相手のモーションは何らかのパターンの組み合わせでデザインされている。だからモーションのパターンを観察し、それが隙が生まれる攻撃なのかそうでない攻撃なのかを見極め、そうであるなら攻撃すればいいと思うようになっていた。

またヒットアンドアウェイ、つまり1度攻撃してすぐ逃げる、という行動を繰り返す戦法は、そういう戦略を意識したわけではなく、とにかく確実な攻撃を狙ってのことだった。今までは相手の隙が見えたらここぞとばかりスタミナが切れるまで攻撃し続けた。しかしスタミナが切れたときそれは自分の隙となり、ボスの高火力の攻撃を回避できない要因になっていた。プレーを初めて数日経つが、はじめのうちは自分もそうだった。だが以前と違ったのは、そこから何かを学び、無意識に対策を練っていたということだ。

パターンが分かればあとは後出しじゃんけんで、残りはいかに不確定要素に惑わされずに忠実なプレーを行えるかということが重要だった。そのための忍耐力が以前の自分にはなかった。だが今は身についているということか。

元々自分は不確定要素に対して頭が発狂する人間だった。とくに高校以降、限られた時間・状況の中で何か成果を出さなくてはいけなくなったとき、ゲームにしろリアルにしろ適切な判断を行うことができなかった。当時は全力でありながら、なぜかうまくいかず失敗することが多いと感じていた。要するに自分は絶対に失敗できないと思っていたのであり、何がなんでも1回で決めなければならないと自分に枷をかけていたのだ。それで1度失敗しても、何かを学ぶ以上に失敗に対する後悔を過敏に感じるだけだった。そうして極度の緊張と不安の状態が常となり、失敗しないことを選び続ける癖が生まれたのだった。

今はもう1度での成功にこだわっていない。致命的な失敗を立て続けに経験し、もうどうでもいいのだと思っている。半ば自暴自棄だが、そうしたこだわりを捨てたことによって、何度でも失敗して良いと思えるようになり、失敗からその都度学び取っていけばいいと思えている。自分の中の執着というものが死んだ。代わりに冷静さと正気を取り戻した。

致命的な失敗によって自分が正常な判断を取り戻したのだとすれば、かえってそれは良いことだったのかもしれない。もしあのまま失敗を恐れて回避して易き道に流れたり、不安定な中でたまたま成功してしまったならば、こうした気づきは得られなかっただろう。もしそうであれば、今でも尚不安定な精神状態から生まれる「奇跡的なひらめき」を過信していただろうと思う。それは明らかに独創的で魅力的なものだが、作家や芸術家、あるいは霊媒師や宗教家のインスピレーションの根源と同様、現実的な問題を対処するにはあまりに再現性がない。

おそらくアートの人間からすればそれらの状態は最も理想的な状態であるように思われる。だが偉大な芸術家の多くがなぜ自己破滅的な行動を選び、果ては自殺にまで手を染めたのかを考えると、あながち間違いではないように思われる。完全なインスピレーションの世界では、再現性に基づく安定を得ることは難しい。「こうすればうまくいく」はどこにも存在しない(それが商業的にであれば少し違ってくるかもしれないが)。不安定な状況下で何かの成果を収めなければならないというのはとても難しいことだ。そしてそれが1回の試行で成功させなければならないとなると、自分は発狂するしかなかった。

自分は偶然性への過信を一旦捨てた。できるだけ答えの見える世界、こうすればうまくいくが実感できる世界に身を置いた。そこには道が示されており、とりあえず安心がある。また試行を制限する障害はどこにもない。時間という豊潤な資源を使って何度も何度も失敗できる。無駄な失敗をするときもある。だが学ぶべき有効な失敗も同時に増えた。それがゲームに対する姿勢に現れたのではないだろうか。