人生

やっていきましょう

317日目

先日Blood BorneのDLCコンテンツを購入した。5年前のコンテンツで正規価格でも2200円だったが、セールで半額となり1100円で買うことができたため、購入を決意した。SEKIROやDARK SOULS3に比べたら時流にやや乗り遅れているような気がするが、ちょうど最近Blood Borneを始めたこともあって、プレーするにはいい機会だと思った。

本日ようやくクリアしてDLCのトロフィーをコンプリートしたのですこしだけ感想を書きたいと思う(いくつかネタバレを含むので、未プレイで読まれている方は注意してほしい)。

全体を通してみて、非常にボリュームのある内容だった。DLCだけでひとつのゲームとして成立してもおかしくないように思えた(実際PSNではBlood Borne本体とほぼ同価格だ)。5体のボスといくつかのマップを一直線に攻略することになるのだが、死にやすさと理不尽さが格段に増しており、本作をかるく凌駕するほどの難易度だった。297日目の時点で「要は後出しじゃんけん」などと調子に乗った発言をしていたが、いかにそれが口だけの過信にすぎなかったかを実感した。最後のボスでは50回以上死んだ。3時間で挫折して、翌日1.2時間かけてようやくクリアした。

おそらく適性レベルに満たない段階で挑戦したことが原因だった。本来は本作のラスボス前後のレベル帯が望ましいのだが、自分は2周目の序盤だった。周回すると敵全体が強化されるため、また2周目は1週目に比べて更に死にやすいため、もう少しレベルをつけてから挑戦するべきだった。

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動画はDLCのラスボスを倒したときのものだ。相手のHPが高く、ほとんどダメージを受け付けない。後半は形状変化でより隙のない攻撃方法に変異する。今回にあたっては既に何度も死んでいたので、心が折れていた。結局最後まで変化後の一部の攻撃に対する回避方法がわからなかった(横回避が有効だと思われたが、検証する前に倒してしまった)。

クリアした後の達成感でしばらく茫然としていた。ただ虚脱感と激しい頭痛があった。ふとこれからどうしようと思っていた。プレーを始めてから3日ほどだったが、少ないながらに充実した日々を送ることができた。いつものようなありきたりの反省に落ち着くのだが、目標が明確で、自分が選んだもので、自分の実力相応+αの難易度で、既にいくつかの難所を突破したことで達成感が学習されているものは容易に取り組める。それがどれほど理不尽で挫折を伴いやすいものであっても、挑戦することにやりがいを感じる。今回達成感を得て、次はDARK SOULS3を買おうとか、SEKIROをやってみようと自然に思えている。ひとつの行動が次へとつながっている。

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人生がそのように行けばいいのにと思う。理不尽さという点では人生も大して変わらないが、なぜか策を講じて再び挑戦しようという気にはなれない。人生に何の意味もないというのであれば、ゲームのクリアにも意味はない。だが意味を問うことなく没入することはできる。人生に没入できないのはなぜだろうか。やはり自分で選んだ目標ではないものをやらされたり、必ずしも実力相応なものばかりでない課題が多いからだろうか。ゲームのように1本のルートを目指すわけでもなく、どこまで行けばクリアになるかわからないからだろうか。

人生は、という抽象的な囲いで括ることに問題がありそうだ。自分の知人には人生に没入しているように見える人間が結構いる。彼らのその没入が理解できず、焦りや困惑があったが、よく見れば自分が興味を持っている分野で試行錯誤を繰り返し満足を得ようとしているだけだった。自分が曖昧な「人生」と見るのは、相手の興味の対象を十分に知らず、また自分の中で異なる無数の相手を「相手」として漠然と捉えていたからだと思う。

厳密にいえば、彼らは自分の知らない個別の領域について、報酬系を活性化させるスイッチを体得しており、各々のケースに目を凝らしてみれば、実は自分がBlood Borneにハマっているのとあまり大差がないようにも感じる。たとえば外で働いたり、社交行事を営むことが、実際にゲームをやっているのと同じくらい楽しいと感じられる人間が存在するだろう。自分にとってはそれが苦痛であり、楽しむ動機が得られないから、どうしてそこまでと思うかもしれないが、彼らはそれを楽しいからしているだけなのだろう。

考えがまとまらなかった。今回の経験から、動機を得るためにはとにかく漠然とした知覚ではなく、範囲を限定した目標に焦点を絞る必要があるように感じた。それが強い動機を喚起させるものであれば持続していくし、そうでなければ一旦取りやめる。その繰り返しを粘り強く続けていく必要がある(とはいえ、ゲーム以上にそうした動機を得られた経験は今までほとんどなく、実現に不安が残る)。