人生

やっていきましょう

324日目

適切な言葉が思いつかないという状況に度々遭遇する。とりわけ何かを説明しなければならないときに、咄嗟に言葉が思いつかないときがある。

最も難しいのは、抽象的な概念を要点をおさえながら答えることだ。たとえば政治とは何かと問われたとき、自分の頭にまず思い浮かぶのは国会の答弁、テレビのワイドショー、インターネットのニュース、Twitterの喧騒などだ。それら個別の状況が自分にとっての政治のイメージであって、「そういうもの」としか思えない。

別のものでもいい。経済とは何かと問われれば、今日コンビニで使った貨幣を思い浮かべるし、またニュースの最後の方で流れる株の情報や、ビジネスマンや働くことのイメージを思い浮かべる。これらも断片的なもので「そういうもの」でしかない。

随分と頭の悪い考え方をしている。だが急に問われたとき、自分の頭の中ではそのようにしか思えない。漠然としたイメージの断片がそのままの状態でおいてあり、それを指して政治だ、経済だと自分は思ってしまっている。

今日はそうした咄嗟に言葉にできない概念について、どうにか自分の言葉で、自分の理解している雑な範囲で、語ろうと思う。

少し冷静になると、イメージの想起しやすさで選ばれた概念よりも一歩先を進んで、どうにか理にかなった、説明のしやすい言葉を探し出そうとする。たとえば政治は何かと言われれば、まず集団というものを思い浮かべる。政治という考え方は1人ではありえず、およそ他の人間との関係性の上で成り立つものだと考える。

学校が好例だ。自分のクラスには40人の生徒がいる。40人の生徒は似たり寄ったりだが、それぞれ異なる価値観や願望を持っている。その中でクラスメートがそれぞれ協力したり、敵対しあったりしている。その過程でクラスという集団は常に動いている。

ここで自分がクラスの会長に立候補したとする。学校ではしばしば、会長の役職というポストが既に用意されていて、毎年空けられているから希望者はそこに入るという慣例が成り立っている。だが本来は会長などいなくても良い、という考え方もできる。自分が小学生の頃まさにそう思っていた。会長が誰だとか生徒会が何だとか言っても実感がわかなかったし、そこに不満はなかったが、なぜ必要なのかが分からなかった。

だからもし会長が必要だというなら、クラスには会長がいなければならなかったという理由付けが伴わなければならない。その理由付けの答えが政治であると思う。たとえば自分のクラスは好き勝手遊ぶことを至上の価値観としており、勉学などする必要がないと考える人間が大多数だとする。こうした学級崩壊の状況にあって、教師の側からどうにか集団として機能させてほしいという緊急の要請があるのであればクラスの会長職は必要だろう。あるいは逆に、勉学など不要で遊ぶことこそ本分だと考える多数派の民意を汲み取って、その代表として教師と交渉するためにクラスの会長となるのであれば、それもまた会長が必要な理由になるだろう。

だが一方で、誰も望んでいないことをする、あるいはしたら反感を持たれるようなことをする人間が会長になることはできないだろう。たとえば学校に通うというそもそものしがらみを脱することの重要性をクラス40人に説き、教師にそれを認めさせよう、認めないのであれば強硬手段も辞さないという過激派がいたとする。だがクラスの人間のほとんどはクラスメートの交流の場が必要だと考えており、クラスや学校を中止する動きには賛成していない。もし仮にそうした人間だけが立候補していないのであれば、むしろ現状維持の路線でクラスを残そうと考える民意を代表した生徒が現れ、まもなく過激派を排除するだろう。だがもし仮に40人の多数が学校という場に反感を持っているのであれば、過激派が民意を取ることもある。

また政治といっても会長の目線ばかりではない。会長を選ぶ自分たちの選択もまた政治であるように思う。会長を投票制で選ぶ必要はない。そもそも会長を置く必要もない。自分がクラスにいる必要もない。学校に通う必要もない。が、それでも学校に通い、クラスに在籍し、クラスの会長職を定め、その会長を毎年選出する「ことにした」。そうしたのは誰かといえばクラスの生徒である。慣例で見えにくくなっているかもしれないが、実際そういう選択を生徒はしている。その選択もひとつの政治ではないだろうか。

いずれにしろ政治は集団が前提であるとは思う。集団内における自己、あるいは他者の望みを実現に繋げようとして、集団内での合意を形成する動きを指して政治というのではないだろうか

 

答え合わせをする。広辞苑によれば

「人間集団における秩序の形成と解体をめぐって、人が他者に対して、また他者と共に行う営み。権力・政策・支配・自治にかかわる現象。」

 であるらしい。自分の言葉ではここまで要点をおさえた表現ができなかった。具体例を交えて周辺的な理解を確認できていたかもしれないが、それを抽象的な表現で昇華することができなかった。

この表現の良いと思うところは、「秩序の形成と解体をめぐって」とあるところだ。クラスをひとつに取りまとめるという部分ばかりが目に行きがちだが、実際には分割して解体する考え方もある、というニュアンスをうまく表現できている。またここでは自己という言葉がでてこないで「他者」という言葉で一貫している。つまり他者がいなければ始まらないというニュアンスを含んでいる。また後半部の「権力・政策・支配・自治にかかわる現象」というのも、政治固有の、しかも要点を突いた概念で、それらを通じて政治というものの全体像をとらえやすくなっている。

とはいえ辞書というのは手引きのようなものであって、過信すべきでない。自分はほとんど政治に直接関わっておらず、政治の生きた情報を何も知らない。ニュースも新聞もあまり読まず、具体的な、地に足のついた政治を知らない。だから自分は漠然とした理解のままでしかない。自分は政治にまったく興味が持てていない。他者と関わっていないから当然なのだが、自分の破滅的で虚無的な失望が建設的な思考を妨げていることが大きい。何にも期待できないから、何かに対して怒ったり問題視することができない。

政治に関しては興味が湧いたときに学べばいいと思う。模範的な態度ではないが、無理して強がっても大したことはできない。だがこうした政治に浅い人間でも、辞書や教科書レベルの認識には近づけるのだということは、少し自信になった。先日までは先に述べた通りの断片的なイメージだったものが、自分でいろいろかんがえて辞書の解答を見たことで少しだけ理解が整理されてきた。

こうした説明しにくい概念を説明しようとする試みはたびたび挑戦していきたい。だが解答を提示するだけで満足してはいけない。それが本当に適切な理解であるかといえば疑問が残る。結局これらの試みは次の学習への足掛かりとするほかにないと思う。