人生

やっていきましょう

335日目

単純に試行回数が足りないために失敗するということが自分の人生のほとんどを占めている。絶対に失敗できない、試行のチャンスは一度しかないと精神的に追い込まれると、自分でも驚くくらいの、全く明後日の方向に進んでしまう。

この不安に追い込まれた時の論理の飛躍を自分は積み重ねてきた。だから試行は毎回失敗するし、1つ1つの試行には相当のストレスがかかることを学習してしまっている。何事の挑戦も無駄に終わるという経験がありながら、それでも克服しよう、克服しなければならないと思い、そのためにまた精神が追い込まれる。その克服もまた、論理が飛躍した全く的外れなものになっている。

それでも試行が不安の逃げ場になれているだけ良いのかもしれない。本当に恐ろしいのは、追い込まれた精神の行き場がどこにも無くなってしまうことだ。ここ1度で絶対に成功しなければならないと自分に言い聞かせ、しかし今の自分にはもうそれができないと確実に分かっているとき、またその通りに失敗したとき、自分のストレスは最高潮に達し、この世の終わりかと思うほど激しく混乱する。視界が歪み、息ができず、腰が抜ける。しばらくして冷静さを取り戻すと、じんわりと失敗したときの記憶が蘇り悲しくなってくる。そしてその先に、無感動、無感情というべき平穏が待っている。

こうした状況を自分は非常に深刻に受け止めているが、しかし視点を変えれば単純な話だ。1回限りの試行という発想を変える。これだけで解決する。1回にリスクを集中させるのではなく、失敗してもいいと思える挑戦を10回でも100回でもする。

だが現時点で自分はこれができていない。その理由は自分が失敗した後の叱責が恐ろしいこと、劣等感が強すぎるということ、妥協・諦めという道を自ら絶っているということ、単純に面倒くさがりであることなどにある。どれをとってもそう簡単には変えられないものばかりだ。しかしそれでも変えていくしかない。他人の意見に翻弄されない。他人と比較しない。一旦退くことを覚える。面倒に感じないことをやる。所詮焼け石に水だが、やらないよりは良いだろう。

とくに他人の目を気にしすぎることが問題だ。他人と合わないことが人一倍多く、かといって社会関係から孤立することを過度におそる恐れた自分は、人の意見を否定せず、自分の意見をほとんど出さないことで社会に適応しようとした。だがそれゆえ他人の都合が自分を支配するようになり、歪んだ思い込みが生まれやすくなった。

対立することを覚える必要がある。相手の都合に対して自分の都合をぶつけること。これが自分を守るために必要だ。人の目を気にしている限り、他人の都合に流され続ける。他人と合わないことに対しては合わないとを言う。それで相手が離れようが敵対意識を持とうが関係ない。相手も相手の都合で生きている。

相手に対する最小限のリスペクトを常に忘れない。自分がすることはこれだけで十分だ。それ以上の忖度や思いやりは不要だ。それらはすべて見返りとして戻ってきた試しがない。

自分から他人を追い出しエゴイスティックになること、このようにすれば一回限りの試行など無駄であることが分かるし、一度の失敗で自分が死ぬことはほとんどないということが分かる。そうすれば何度でも試行錯誤することができ、その数に応じて成功体験も増える。それが僅かに自分の自信にも繋がると思う。