人生

やっていきましょう

338日目

海外のあるスレッドには、人生に深く絶望して人との関わりを断ち、深夜を1人で徘徊する人たちがいる。彼らが投稿する何の変哲もない画像や動画を見ていると、まるで自分がそこにいるかのような錯覚に陥る。そこに映っているのは一人の孤独と一人の生きた視点であり、そこに漂っている自分らしさに自分と同じものを見出してしまう。

だが同時に、そこに映し出されたものは自分が慣れ親しんだものとは微妙に異なっている。石造りの建物、空の雰囲気、木々のもたらす印象はどれも自分に異邦を思わせる。だから彼らには自分らしさを感じる反面、どこか遠いものを感じてしまう。この感覚をどこかで覚えた気がするが、以前自分が旅をしたときのことだった。具体的にいつのことだったのかは覚えていない。

世界の多様な憂鬱さを見ていると、無名の場所に住む無名の人間の、何の価値も見出されない生存が、世界中に多く溢れているということに気づかされる。当然同じくらいそうでない人間も世界にはいるのだろうが、普段目に見えず、ひっそりとした形で佇んでいる彼らが姿を表すことなど、外の世界ではまず見られなかっただろう。だから自分と同じような境遇にある人間がいるということに、多少の親近感が湧いてしまう。

最近はそういうものばかり漁っている気がする。異邦の中に身を置いて自分らしさを確かめる材料にしている。だからといって、それがどうということでもないのだが。