人生

やっていきましょう

345日目

ネットの不幸自慢を見て笑っているが半分は自嘲的な気分からきている。自らの苦境と自己言及を悲劇と称しているのは自分も大して変わらない。自分もどこか悲劇に酔っている。

以前は自分ほど悲劇的な人生を送っている人間はいないとしか思えなかったが、広い目で見れば苦労していない人などほとんどおらず、自分は多くの人々が抱えている多様な苦しみのうちのひとつでしかないということが分かってきた。それが相対的には人より苦労が多いというだけのことであって、自分の苦しみは何も世間にとってそれほど特別なことではない。

自分の悲劇性と距離を取ることができないと現実との距離感が掴めなくなる。極度に無気力になり何もできなくなるか、極度に他人を恐れすべての人間が自分を敵対視しているように思うか、あるいは極度に自己愛的になるか、極度に他者依存的になるかもしれない。

そういう意味では自分の願望や理想といった虚構を極力排し、極力現実に基づいて物事を考えようとしたことを選んだのは賢明だったかもしれない。自分の悲劇など取るに足らないと思ってから、被害妄想をほとんど抱かなくなった。

主観の暴走には注意がいる。どんなに自分が落ち込んでいても、どこかで自分を俯瞰しておく必要がある。このことを常に意識しておきたい