人生

やっていきましょう

362日目

無駄な1日だったのであれこれ振り返る必要もないが、ほかに書くことがないので記録しておく。何が無駄だったかというと何の考えもなくただゲームをしていたということで、楽しいわけでもなく、心の逃げ場が欲しかったわけでもなく、純粋にただ時間を浪費しただけだった。

メタルギアソリッド5ファイナルファンタジー15を引き出してきた。漠然とトロフィーコンプリートを狙おうとしてプレーし始めた。どちらも時間の浪費だった。楽しいという感情がなく、wikiを追随する作業でしかなかった。

同じことでもダークソウル2とは勝手が違った。なぜこの2つには没入できなかったのか。これはゲーム性の問題ではない。結局、自分が「過去にやり散らかしたことを処理する」ことに囚われていたためだった。とにかく過去の自分を切り離したいという思いがあった。

こうした事後処理はほとんど面白くない。実際、今楽しんでいるわけではなく、かつて楽しんでいたものだからだ。これらのゲームはつまらないわけでは決してないが、今自分が関心を向けているものではない。今の自分の目線でプレーすれば面白いはずなのだが、過去の清算のつもりでプレーを供養しているのだからまったく楽しめない。

ダークソウル2もかつて楽しんでいた過去のものだが、今もなお楽しんでいるという視点があった。今の自分が没入しているというリアルがそこにあり、トロコン自体も作業ではなく主体的な取り組みだった。しかも2に飽き足らず、ついにはダークソウル3を買う気でいる。

欠けているものは、今の自分が楽しんでいるという視点だ。過去を清算することばかりに意識が傾いていて現在を生きていない。復讐心や憎しみに駆られている人間、かつての栄光を忘れられないでいる人間、過去のトラウマに苛まれている人間と同様、過去の自分に束縛されすぎている。

今没入できるものがあれば過去の供養など必要ないのではないかとも思うが、なかなかそうはいかない。後ろめたさが地縛霊のように張り付いて、純粋に楽しむことができない。だから無駄であれなんであれ、歪んだ過去を清算しなければならない。

厳密に言えば、かつての自分を切り離すことはできない。かつてそうだったものを今の自分が再解釈することで、ようやく過去と決着をつけることができる。過去を過去のままにしておくことはどうにも耐えられない。自分には過去を美化する理由がひとつもなく、あるのは現在と未来以外にない。

トロコンはひとつの墓標である。過去の供養であって、決別である。かつてやり散らかした中途半端な実績は、現在の達成により上書きされる。そのときはじめて自分のリアルは過去の後悔や後ろめたさの中にではなく、いまの体験の中に生まれるようになる。