人生

やっていきましょう

368日目

外が晴れていたので夕方まで歩いた。土手沿いの小道を道なりに歩いた。自分はマスクをして歩いたが、マスクをしている人はいなかった。老人が多かった。公園で小学生の集団が先生の指導で運動していた。

歩くと精神が安定する。曖昧だった意識がはっきりしてくる。不安を感じなくなる。何度も経験して分かっていることだが、いつも意識の片隅に置いておくためにはその都度言及しておく必要がある。自分は忘れやすく、いつも意識を遠くに置きすぎる。

歩いていた時の話をもう少し言及したいが、咄嗟に言葉が思いつかない。歩いた時の感覚をどう表現すればいいだろう。林道の合間から空が見えて、土手の反対側には住宅が広がっていた。初めて通る道だったので新鮮だった。風を切って歩いていたので空気が美味しかった。遠くから車の音がしていた。学生が下校途中だった。

自分もそういえば少し前までは下校していた人間だった。高校の頃は夜まで自習室に居て、ひとりで坂道を自転車で帰っていた。当時と今とではあまり変わっていない。ただ不安定な人格がそこにはあった。

こうした考えを歩いている最中に考えることはあまりない。歩いている間に意識がはっきりするのは、やるべきことが明確だからだ。とにかく今いる地点から目標の場所に向かう。そこに行かない可能性も、引き返す可能性も、別のルートからアプローチをかける可能性も自分には存在するが、そうした無数の選択肢をまったく意識することなく、ただひとつのこの道を選ぶことを認めている。その選択に対して自分は安心している。

明らかに初めての道で、目的地にたどり着けないという不安もあっただろうが、歩いている時にはまったく感じていない。人通りがあるところだからというのもあっただろうが、道が分からないときにどう対処すればいいかを理解していたからだろう。

誰かがいっていたが、不確定要素の高い課題に対して、思うような結果を出せなかった場合のことを想定して常に動くと対処しやすいとのことだ。これは今まで頭で考えて分かっている気になっていたが、最近では身に染みてよく分かるようになってきた。自分がパニックになるのは決まって想定外の出来事を前に何の準備もしていないことが原因だった。不確定要素の高い困難に対して、常に安定した逃げ道を用意しておくこと。自分が苦手なものは大抵これができていない。

今回、そこまで複雑でない新しい道のりの散歩で不安にならなかったのは、この道を通ればいいという確証を多く持っていたからだ。だがその確証の持てない場合でも、自分は冷静に対処できただろう。もし道に迷った場合はスマホの地図を開く、看板を探す、大通りを目指す、あるいは道を引き返し確実に知っている場所まで戻る。最悪の場合、人の気配がする方に向かって道案内を助けてもらっても良い。

それらがすべて通用しなければ、そこではじめてパニックになると思う。だがパニックになるまでの段階が、何も準備せず何も理解していない状況よりは遠くなっている。自分の不安やパニックは準備不足が原因を占めている場合が圧倒的に多い。これは本当に痛いところだが、積極的に自覚していかなければならないことだ。

運動それ自体精神を安定させるが、何をすべきかはっきりしているということもまた、精神を安定させる。歩きながらそのことを今日は学習した。