人生

やっていきましょう

375日目

何かを決断するというのは難しいが、他人を巻き込んでの決断となると尚更難しい。それがどれだけ些細なことであれ、集団の合意に沿った方針を得なければならないということに神経質になってしまう。

決断をせずただ合意に従うというロールは意思決定の権限が自分にない場合、つまり指示待ちの場合には有効であるように思う。何らかの方針を円滑に回していくには、それが良いか悪いかは別として、受身である方が都合が良い。

だが一方、皆が皆譲り合っている場合にはあまり効果がない。結局は誰かが決断しなければならないからだ。譲り合いには意見の対立を避ける狙いがある一方で、何でも良いという選択の放棄という側面がある場合もある。何を食べたいかと訊かれたときに何でも良いと言われることと同じだ。こうした時はあまり深く考えず、自分の選択を通した方が物事が円滑に進む。だがそれがなかなか難しい。

誰かが決断をしなければならないときに、相手に決断を任せてしまう癖が自分にはある。まさしく先に述べた選択の放棄を相手に押し付けている。相当失礼なことをしている自覚があるのだが、かといって自分のやりたいことばかりを訴え続けては、それもまた相手の気分を害するかもしれないと考えてしまう。

そこで自分は初め相手に決断を任せるが、相手も決断に窮している場合は決断のロールを担うことにしている。同じように、誰もリーダーシップを取らない(取りたがらない)場合は自分が取る。その時、できるだけ独りよがりにならないようにしているが、どうしても自分に有利な判断をしてしまう。それが誰かにとって不利益になるかどうかは分からないので、常に意見は受け付ける。意見がなければ現行の判断に従う。

自分は文句を言われたり悪く思われたりすることを過度に恐れている。だがそう思っている限り何かを決断することはできない。ここは潔く失敗し間違えることを前提に行動した方が良いだろう。失敗したその都度改善していけば良いと思う。