人生

やっていきましょう

379日目

一度の試行ですべてを終わらせようとする癖がある。その試行で成功すればよし、失敗したらひどく自責をするという習慣がついてしまっている。そうした経験の積み重ねが自分を追い込み、自分は一度も失敗できない、一度で成功しなければならないと思うようになり、これを拗らせると失敗できない挑戦はしない、むしろはじめから挑戦しないほうがいいと考えるようになる。

ゲームでもそうした態度にある。ここ一番で失敗できないと考えるあまり、失敗に敏感になり挑戦を放棄する。成功の許容範囲が狭ければ狭いほど失敗するのは当然であり、1度でうまくいくということはほとんどなくなる。スマブラ で1勝するのは容易いが、32人トーナメントで優勝するのは難しい。MGS5を自由プレーするよりも、非殺傷ノーキルノーアラートを維持する方が難しい。

挑戦を人生の核に据えるとすれば、失敗との付き合い方をうまく考えなければならない。挑戦するということはそれだけ失敗も多くなるということだ。だが一方で、何度も取り組んでいくうちにコツを掴めてくるというのも事実だ。初めてのステージでどこから敵がくるか分からない状況よりも、一度死んでどこからやってくるか全て把握している状態の方が成功しやすい。初めて取り組んだTOEICよりも、何度も繰り返し挑戦したTOEICの方が成績が良い。

失敗をしない人生というものは無いというが、どうしても自分は失敗することを過度に恐れている。些細な失敗を叱られた経験から、もしくは小さい頃からネットの住人が住人に向けて心ない言葉で相手の失敗をなじり続けることを見るにつけ、失敗は決して肯定されない、あるいは失敗は人格否定の材料という風に学習してしまったのだろう。こうした経験からは失敗が建設的な反省の材料とは到底思うことができず、いつどこに潜伏して自分の人格を否定する人間が現れるかということに怯え続けることになる。不幸なことにそう思えば思うほど失敗に注目するようになり、自分の成功や有意義な時間からも失敗の材料を粗探しするようになる。

他人にこそ絶対しないが、自分に向けては過剰に人格を否定しているという点で、自分は心ないネットの住人と何ら変わりない。そうすることで恐怖に適応しようとしているのだろうが、かえって逆効果だ。このままいけば現実と妄想の区別がつかなくなる。

やはり失敗を受け入れる、失敗する自分を受け入れるということを意識した方がいいと思う。挑戦の放棄を受け入れるということではなく、挑戦の中で失敗することを受け入れるということだ。無論、挑戦の放棄は時と場合によって必要にもなるが、失敗に対する恐怖ゆえに安易にその選択を選ばないということが重要だ。

自分の失敗を受け入れることができれば、もう一度挑戦することができるようになると思う。失敗を人格否定の材料ではなく肯定のための材料にする。それが単なる鼓舞でしかないとしても、自らの人格否定を止めるためには必要だ。