人生

やっていきましょう

394日目

今日は唐突に外に出て10kmほど歩いた。見慣れた大通りだったが、歩くのは初めてだった。歩いているうちに観察したことや、ふと気づいたことがいくつかあったので書き込んでおく。

走るペースはいつもの通りだった。序盤に飛ばし中盤に減速、最後の方は殆ど歩いていた。いつかの記事でも書いた記憶があるが、何事も後先考えず初動に全力を捧げるというのが自分の人生の傾向らしい。短距離ではパワーがある人間だと思うが、悪く言えば短命であり実際その通りになっている。問題は減速し歩き始めるようになってからも道は続くということで、今の自分の関心はむしろそちらの方にある。もう一度走るのか、生き急がない楽しみを見出すのか、それとも途中で投げ出すのか。

今回歩いたルートは最寄りの駅に通じる大通りをひたすら南下するというものだった。初めのうちはビルと家が立ち並ぶ市街地だが、段々と開けた感じになり、土手と工場以外はほとんど車道だけになる。さらに先を行くと川を跨いで巨大な橋を渡ることになり、そこからずっと奥の道の駅まで行った。最後の方は歩道がなく日が暮れた頃に車道スレスレを歩いてしまったので危険だった。疲れていてほとんど頭が回っていなかった。本当に危なかったので注意が必要だ。

土手を歩いているとき、同じように走ったり歩いていたりする人間たちに何度か遭遇した。変な話だが、普段はあまり抱かないようなゆるやかな同胞意識を感じていた。他人に対して常に漠然とした警戒心と猜疑心、敵対心がある自分だが、疲れからかこの時ばかりは警戒心が緩んでいた。それぞれの人間が異なる事情、異なる背景を持ってこの道を歩いているのだと思うと、「仲間」とまではいかないが、小さな親しみみたいなものを感じていた。

歩いているとき、すれ違ったきり別れてしまうのが良いところだと思う。一瞬の間だけ同じ方向に向かって歩いても、すぐに散り散りになってしまう。そういうところに一期一会や無常といったものを感じる。自分にとって他人はこのくらいの距離がいいのだということも再確認した。下手に気を遣うこともなく、他人に恐怖を抱くこともなく、言葉を交わさず、歩くという対等な立場で各々が活動している。

歩き終わったあとにゲームをする余力が自分にあることに驚かされた。ゲームは不安定な設計の足場を落ちないように進み続ける種類のもので、相当な集中力と忍耐力が要求される。こうした元気な時でもやらないようなゲームをなぜかハマってしまい、気が付いたら朝の4時になっていた。それでもまだ意識を保って起きていられているので、やはり相当体力がついているのかもしれない。

だがこれ以上無理をするとどうなるか分からないので、今日はここで終わることにする。疲れているので情報の整理がつかなかったが、とりあえずは今日思ったことをまとめることができた。