人生

やっていきましょう

414日目

生きる理由を失ってからしばらく経つ。自分の意思も持たず他人の都合に流されて何事も受動的に生きている。

自分が生きている理由は、自殺をしないと宣言することで、身の回りの人間に安心感を与えること以外に存在しない。すべて他人の都合で生きており、自分の人生を生きていない。

先日から他人の都合で生きることをやめた。しばらくは自分の人生が自分のものであるという満足感が得られていたが、もはや他人の心配をしなくて良いので、なぜ自分が自殺を踏みとどまらなければならないのかという理由を完全に失った。つまり気分次第では今すぐ窓から飛び降りることができる。

他人の都合を排したことで、ますます自分の中の空虚感、絶望感が鮮明に見えてきた。自分は既に感情が死んでいながら、まだ心が生きている人間たちと関わることで自分はまだ生きていると思いだがっていたのだ。

だがもうその必要はない。自分は明らかに彼らとは違っている。自分は生の共犯者にはなれない。彼らは本当に生きていたいのだし、自分は本当に生きてはいられないのだ。わかり合えるわけがない。断絶は決定的だ。これ以上生きた人間たちの邪魔はできない。自分が無理して生きたフリをしていても迷惑でしかない。

ひとりで強く生きるしかない。生きる理由を他人に委ねてばかりはいられない。自分の意思と選択によって生きていかなければならない。自分に力を与えよ。自分は死なないと宣言した。半分は他人の都合だったかもしれないが、半分は自分の意思だった。今でさえそのことはほとんど忘れているが、確かに自分の意思はそこにあったはずだ。記録は当初そうした動機を持って始まった。

これは最も弱い部類に属する自分の意思だ。いつかは消えるかもしれない。それでも残っているうちは、自分が生き返るまで絶えず足掻き続ける。