人生

やっていきましょう

419日目

自分の興味や課題、自分の理解度といったものは必ずしも他人と一致するわけではない。この点については本当に忘れがちになるため注意がいる。

これらの不一致から話が合わないことが度々ある。今まで自分はこうした不一致が生じたとき、自分の理解力が欠けているために情報を共有できないのだと自責した。それで自分は相手の言葉の方が正しい/優れている/価値があると勝手に思い込んだ。

冷静に考えれば自分ばかりの責任ではない。自他共に相手の話を正しく伝えようとする姿勢、相手の話を正しく理解しようとする姿勢がなければ話はすれ違う。こうしたことを言うとただ自分の確かな正しさを弁明したいように聞こえるがそういうわけではない。自分が常に間違っているのではなく、自分が間違う「場合もある」、ということが言いたい。

自分が絶対に理解力が欠けていると考えることは、自分が絶対に正しいと思い込むことほど滑稽な話だが、なかなか自分の中でそうは気づいてはくれない。自分が絶対に間違っているという感覚は生来のもので容易に改善できるものではない。

話が合わないという事実に直面したとき、何でも自分の知能の低さを原因に求めるのは妥当ではない。相手との問題意識の不一致、関心領域の不一致、問題に対する理解度の不一致、共有しようとする意思の有無、例えばこれらの要因が影響して話が通じないことが生じている。だから相手が悪い、自分が悪いと短絡的に結論づけるのではなく、ただ唯一、話が通じていないという事実をまずは受け入れることが重要だ。その原因は個々に異なる。善処できる場合は善処し、打つ手がなければ諦める。

話が通じないという事実から自責の根拠を見出してはならない。自分ばかりが自責をして、相手は自己の無謬性を固く信じている。こうした状況に何度も煮湯を飲まされてきた。相手が分かってくれるとはもはや思わず、自分にできる限りのことだけをする。それ以上は手放す。根拠もなく自責する必要はない。