人生

やっていきましょう

423日目

思考のループが増えた。意識的に別のことに注意を向けている。

思考が堂々巡りを始めそれが長期的に続いているということは、何かを変えなければ今後もそれが繰り返されるということだ。そのことを深刻に考える必要がある。この堂々巡りが5年続くということも、おそらく最も現実的に起こり得る未来のひとつだと考えておくべきだ。

精神が壊れて以来、現実的に考える術を身に着けた。だから自分には分かっている。現実的に考えて起こり得る未来というのは、自分がどれだけ目を背け拒もうと確かに起こる未来のことを指す。このまま何もしないという選択を取り続けている以上、何も変化しない現状を享受することになり、ネガティブな思考の循環は維持され続ける。これは事実だ。まずはこのことを受け入れる必要がある。

自分の中である一つの問題点に気づいた。それは過去に囚われすぎているということだ。過去というのは精神的に最も衰弱していた時期のことで、だいたい直近の4年間のことを指している。あの時の自分は正常な判断力を持つことができず、あらゆる機会を無駄にしてきた。何かを積み上げる機会を、その日その日の精神の安定のために犠牲にした。それですら、今思えばほとんど無意味に等しかった。

この過去だ。この過去を十分生かせなかったという挫折経験から立ち直れないということ。それがすべての意思決定の根拠になっている。すべてに失敗し得るという評価の根拠、すべての価値づけが無意味だとする根拠は、過去の失敗による痛みに由来する。だがそれはまったく正常な判断であるとはいえない。過去は過去であり、またそれは数ある過去のひとつでしかない。

自分は過去を絶対視しているように感じる。過去を現在から切り離し、相対的に見るということができていない。かつて精神が壊れたということがすべてであり、以降は白紙のままだ。この見方を変える。自分は現在を過去から切り離す。過去は確かに現在に影響を及ぼし得るが、すべてがそうである必要はない。自分の物の見方が、新しい知見を取り入れたことで変化してはならないという法はない。かつての自分が見出し得なかった視点を外部から積極的に取り入れ思索の材料にする。そのようにして過去を現在で上書きすることができるはずだ。

具体的に何をすれば良いかという点で毎回躓く。曖昧にしか記述できないが、いくつか方向性を考える。まずはできるだけその日のことに注目して物事を考える。また、自分にはできないと思い込み過ぎない。できないことからは一旦離れてできる範囲から始める。どれほどそれが簡単でバカげていることでも、できるという自分の守備範囲を死守する。そしてできたことは正当に評価する。部分的にこの試みはうまくいっている。だからそこに「他人の目」という不当な批判を想定してはならない。「他人の目」というのは自分の行動がどのように非難され得るかという仮定でしかない。仮定に現実を支配させない。