人生

やっていきましょう

429日目

ドラマや映画でよくプランBを考えるということがある。当初の計画がうまくいかなかった場合、別に用意していた計画をもって問題を元の軌道に戻すというものだ。

自分は今まで一度もプランBを考えたことがない。プランAが失敗したら挑戦を止めるか、無計画にただあがくだけだ。これでうまくいったときもあれば失敗したときもあるが、大抵は失敗している。そもそもプランAすら考えていたかどうかも怪しいところだ。

何か物事を遂行する際には誰でも少しは計画を建てる。だが計画が頓挫した際、別の計画をもって当初の計画の失敗の損失を柔軟にリカバーすることはなかなかできない。ましてや初めから計画は失敗するものと考え、行動する前から失敗後の代替プランを念頭に置きつつ、プランを万全の態勢で臨むということは難しい。

こうした態度が当たり前にできている人間というのは確かに存在する。だから自分にできないことはないように思う。しかし相当高度な技術が要求されるように思う。計画を練るということ、失敗を適切に受け止める(受け流す)ということ、いわゆる損切りを行えるということが必要になってくる。自分はそもそも計画を立てていない。そのくせ一度の失敗を深刻に捉えすぎて、失敗を同じフィールドで回収しようとして代替案に移行できないような人間だ。

不都合な事実だがいくつか実例がある。apexをプレーしているときに、探索ルートのプランが全く練れていない。アイテムを回収することに意識が向いて、敵が奇襲してくることを想定していない。突然の奇襲は何度も起こっているのでアクシデントには常に警戒しておく必要があるのだが、いつも目の前の情報に意識が支配される。

そんな時に敵と遭遇し仲間がひとりやられる。当然仲間の死体からバナーを回収してビーコンからリスポーンさせた方が良いのだが、エリア縮小時や激戦区の真っ只中にいる時など、時には見捨てた方がゲーム上有利な場面も存在する。しかしこのとき自分は常にリスクを冒して仲間のバナーを回収しに行く。とはいえ無計画なので大抵はエリア縮小に間に合わず死ぬか、銃撃の返り討ちに遭って死んでしまう。こうした失敗に対しひどく落胆し、心が折れてきている。

また自分の就職活動にも言える。自分は就職活動に失敗した人間だが、失敗の原因は明らかだった。まず自分はどういった方向にキャリアプランを構築するかということを全く考えられていなかった。精神が元々不安定な状態にあり、先の見えない未来に対して何かを断言する(というポーズをとる)ことができなかったことが背景にあるが、とにかく自分はプランAもBも立てられる状態ではなかった。要するに無計画ゆえに失敗したという極めてありきたりな結論になるのだが、その失敗を自分は深刻に受け止めすぎて自分は社会にとって価値がないゴミクズで、生きていても仕方がないと思うようになってしまった。そうして毎日自殺することだけを考えていた。

一度の失敗ですべてを台無しにするのではなく妥協でどこか入ることはできたはずだが、今の精神状態ではどこへ行っても使い物にならないと思ってしまい、なかなか定職に就くことができていない。明らかに就職活動の前段階で、本命の企業と妥協の企業を選択し、失敗したらこうするとあらかじめ決めておけばダメージは少なかっただろうが、自分にはこれしかない、ここで失敗したら自分の人生が終わる、絶対に負けられないと自分を追い込みすぎたことで、否定してきたもののすべてが自分に跳ね返ってしまい相当なダメージを負った。そのとき負った後遺症はおそらく治らないだろう。

最後にゲーム作りだ。ゲーム作りは無計画で発進した最悪のプロジェクトで、そのくせ理想は壮大だった。次から次へとフィールドマップが追加され、ひとりでは収集がつかなくなるほどマップが広くなってしまった。その世界を当時流行のオープンワールドでプレーするRPGを検討していたが、ゲームの一方通行なストーリーと折り合いがつかず、結局オープンワールドライクな一方通行ゲームになってしまった。

これだけ風呂敷を広げすぎた結果、色々と不都合なことが生じてくる。設定やストーリーをすべて把握し切れているわけではないので矛盾点が生じたり、バグが気づかれないまま放置されてしまっている。こうした収集のつかない状態で、マップを縮小したりゲーム開発を中止したりすることはできたはずだが、自分はプランBではなくプランAを完成させる道を選んだ。もちろん細かい部分は妥協で誤魔化しているが、完成させるという当初の予定に変更はない。

結局なぜそうなるかというと、この計画自体が巨大な失敗そのもので、いまここで逃げ出したら相当なダメージが自分に返ってくるということが分かっているからだ。賢い人間は収集のつかないものは速やかに切り捨て、その失敗を活かして新しいものに取り組んでいくだろうが、自分はここで完成させなかったら次もまた同じように逃げ出すだろうということが分かっている。だから逃げられない。自分は自分の失敗に対して責任を取らなければならない。

身近な例はこれくらいだ。どれも予め代替案を控えた綿密な計画、失敗を適切に受け入れる気概と心構え、損とこだわりを切り捨てる強さがあれば今よりは余程マシな未来が送れていたものばかりだ。はじめからプランBが用意されていれば、アクシデントにそれほどパニックになることはない。無論それが難しいことだというのは分かっているが、今の自分にはこうした態度を常に意識していく必要があるように思う。