人生

やっていきましょう

482日目

自分の中には「恥」という概念が自明のように刷り込まれている。しかし多くの人間を観察していると、この「恥」という概念を全く持たない人間も存在することが分かる。そこでようやく自分は「恥」というものを相対化できたわけだが、未だにその思想的影響が自分を蝕んでいる。自分にとってのあらゆる選択は「恥」という検問を突破することによってはじめて合意が得られる。だがこの通過状況は悪く、多くの選択はこの「恥」の犠牲となる。

自分にとって「恥」というのは、端的に言うと「人様に顔向けできる選択・行動・態度を取ること」である。最も身近な例でいうと、家の中がギャーギャーうるさかったり、TVの音が鳴り響いていると、自分は窓を反射的に閉めたくなる。そうしない人間には強い嫌悪を示し、なぜこんな恥知らずな行動がとれるのかと怒りが湧いてくる。しかし冷静に考えれば家の中でどんなに騒音が鳴っていようが、それが近所迷惑になっていようが、またそれにより近所の人間に苦痛を与えようが、それを絶対に回避しなければならない理由はない。あまりに明白な場合はさておき、多少の口論やTVの音に敏感になるのはおかしいと今の自分は思う。だがかつての自分はこの「恥」に過剰な反応を示していた。今日はそのことについて考える。

自分は長い間「恥」を過剰に気にする人間の圧を受けてきた。自分が無作法にも大声を出していると、それは「恥」だからやめろと言われてきた。先述した通り、窓を開けての会話やTVの音にも神経質になり、こちらが悪いと叱責を受けた。

ここでの問題は「恥」に過敏であったこともそうだが、「恥」を感じた当人の負の感情が絶対化されており、揺るぎのない被害者意識によって、負の感情の直接的原因となったこちら側が100%間違っているという意識を植え付けたことだった。自分はそのことには一定の妥当性があると考えその都度謝罪をしてきたが、あまりに長い間自分が加害者であり間違っているという主張で抑えつけられてきたために、自分は本当に価値がなく、存在が間違っているのだという確信に至った。それで自分はいつのまにか他の人間に対しても「恥」を当てはめ、「人様に顔向けできない」あらゆるものを「恥」という負の感情を根拠に否定しようとしていた。そして自分も同類になった。

自分が人と話せなくなったのもこの「恥」の観念が強すぎたためである。自分が何を話したいかではなく、どうすれば「人様に顔向けできるか」ということ以外を考えられる状態ではなかった。そのプレッシャーを受け、自分のいかなる言葉も「人様に顔向けできない」ものに解釈され得るという可能性を否定できず、常に頭が真っ白になっていた。

考えてみればおかしな話である。「人様に顔向けできない」から何だというのか。仮に「人様に顔向けできない」からといって、またそのことで「恥」を感じたからといって、どうしてそのために自分の考えや感情を歪めなければならないのか。どうして自分が「恥」を感じる人間の被害者意識の犠牲とならなければならないのか。

他人などあまり気にせず、自分の人生を主体的に送れば良い。言うことは簡単だ。だが自分にはそれが難しい。自分は未だに過去の呪縛から逃れられないでいる。自分は被害者意識の犠牲となり、今度は自分が誰かに被害者意識を抱いている。

この連鎖を止めるために自分は自分が「恥」と感じるあらゆる要素については寛容であろうと努めている。当然自分に受け入れがたいものも存在するが、少なくとも被害者意識に駆られて相手を頭ごなしに否定することはない。広くフェアであるべきだと思う。

しかし今でも自分が思ったことを思ったままに言うことはできない。入念な推敲を挟むことのできない会話は難しく、どこか機械的な会話になる。だが流暢な話者を観察していると、彼らは会話を楽しいと感じているようだ。自分が「恥」だと感じるものについても、彼らは自分がそうしたいからそうするという感情を自明に受け入れている。

悪意のある言い方をすれば、「恥」というのは弱者の理屈である。誰かに「恥」となる迷惑をかけたことで襲い掛かってくる報復を恐れているのである。力を持つ者であれば最悪力でねじ伏せればいいと考えるだろう。「恥」というのは場の圧力への対抗手段を持たないために被害者意識を募らせるほかにないという状態である。どこまでも弱弱しく、自己保身的な感情だ。

強者になれとは言わないが、自分に力をつける必要はある。それは心理的な強さだ。自分は多くの人間に迷惑をかける人間である。だがそのことを自分は悪く取らないようにしたい。自分は他人に迷惑をかける加害者だが、それらをすべて回避しようとするのではなく、加害性を受け入れた上でどうすればそれを薄められるかを考えたい。「人様に顔向けできるか」ではなく自分が何をしたいかを考えたい。このことを自分の心に刻む必要がある。さもなければ自分は再びルサンチマンの餌食となる。