人生

やっていきましょう

509日目

頭の中にある情報を適切に引き出すことはできていても、書かれている情報を適切に読むことができないときがある。これらの能力はまったく別のものであるにもかかわらず、自分はそのことに自覚的になれていない。前者は単に自らの思考を反復し続けた結果情報が引き出しやすくなっているだけであり、後者は外部の情報を自分の中に再構築する力が必要となる。この溝を埋めるために学習によって問題を反復する必要があるが、しかしその労を厭っているというのが今の現状だ。

地道な学習によって理路を定着させることを厭うのは、学習をすることよりもしないことの方が自分に満足を与えるからだ。学ぶということは自分の中の理解を一旦取り壊し、不十分な部分を修正して再構築することを意味する。そのため現時点での理解を自信の糧にしようとしている場合には当然苦痛を伴う。自分はいま、その苦痛に我慢できず問題から目を逸らし、学ぶことから距離を取っている。そういう態度からは自分の頭の中の情報は引き出せても、畑違いの文章を読むことは難しい。

この場合、分からない言葉を地道にネットで調べ、書かれている内容をそのまま理解することが重要になる。このとき自分は自分の中の情報の引き出しから納得を得ることが難しいかもしれないが、書かれていることが意味として論理的に理解できるのであれば、それは情報としてそのまま認める必要がある。

自分は理解と納得を混合し、納得がなければ理解は無いと思いがちになっている。納得という指針を優先し続けると、自分が納得できないものには何でも間違っていると判断するようになる。納得と理解は重なり合う部分もあるが、それぞれ独立したものとして見るべきであり、納得は得られないが理解ができ得るものがあるということを認める必要がある。