人生

やっていきましょう

549日目

自分が何を言っているのかわかっていないときがある。自分の言葉に対して自信が持てていないということでもある。

これまで自分が書いてきた文章は、実際多くの思考を必要としてきたが、それでも物事に対する理解を欠いた状態から生まれたものだった。自分はこれだけ考えてきたのだから、当然理解もしているだろうという楽観は、おそらく誤解である。

事実を言えば、自分は曖昧な言葉をただ吐き出しているだけだった。その忍耐強さだけはあったのでここまで続けてこられたが、それはすなわち自分の理解を前進させるものではほとんどなかったということを告白しなければならない。

理解が伴っていないというのは、もう少し掘り下げて考えると、思考の状態に無自覚だったということだ。自分が文章で何かを書くために選んだ言葉のひとつひとつを手に取って、この言葉はこのような意味で使ったのだと振り返ることがあまりできていない。衝動的に、直感的にこのように述べたのであり、理屈から始まったわけではないからだ。

この危うさに自分は早くから気付いていたが、今の自分はその事実を忘れがちになる。恥ずかしい話だが、自分の言語運用能力は自分が思っているほどには高くなく、むしろ直感の根源となる曖昧さに頼り過ぎているという点で通常よりも低い可能性がある。自分は自分が思うほどに、自分の言葉に責任を持つことができていない。

自分は言葉というものを、あまりに安易に使いすぎる。ひとつひとつの意味を確認して、細かい部分から全体の流れに至るまで、自分の考えを構造的にまとめることができていない。これは謙遜でもなんでもなく、本当にできていない。今日のブログについても、言葉の意味を厳密に考えた上で書かれたものではない。

厳密に考えるとは、過剰なダメ出しをしろという意味ではない。批判しようと思えばひとつの単語、ひとつの文章に対して無数の否定ができるだろうが、それでは自分は何も言葉にできなくなってしまう。自分の能力の有限性を自覚しつつ、その中で自分にできる範囲で、意味を定義するということが、厳密に考えるということである。

ここで自分のつまらないプライドが発生する。すなわち自分の言葉は簡単に定義できるほど単純ではないのだというような自負だ。これほど反吐の出るものはない。あるいは定義を積み重ねていけば、自分がいかに曖昧な前提で言葉を選び用いているかが暴かれるということを強く恐れている。それで自分の矮小さと向き合う勇気がないということだ。

確かにこういった感情は理解できる。しかしこうしたつまらない感情が、自分の言葉を殺しているという自覚はあるのか。自分自身の本当の理解度は、ひとつひとつを細かく点検してようやくわかる。分析とは、分けて切り離すという意味がある。未分のままの状態は、分析できていないということに等しい。

言葉に限らず、あらゆるものについてそうだと考える必要がある。何度も繰り返すが、自分がしていることに自覚になれていなければ、自分の中に築き上げられた無自覚の文脈のまま、言葉を用い、道具を使い、ものを選び、活動を行い、人の話を聞き、本を読むことになる。それで困らない人間もいるだろうが、自分は困る。なぜなら自分はこのまま理解を欠いて制御不可能な人生を歩むことにこれ以上耐えられないからだ。

この自覚は何度でも言及する必要がある。日ごろから自分が今何をしているか自分に問うべきだ。言葉はその目的によって、曖昧さに溶け込み抽象的な気分を書き連ねることもできれば、具体的な問題に対して不要な記述をそぎ落とし吟味することにも使える。言葉は多様だ。自分はたまたま曖昧な用い方を好むということである。だがその自覚を一度でも失った日には、自分は曖昧な用い方をしたまま現実問題を考えるようになり、美学と必要の区別がつかなくなり、最後にはどういうわけか自分が正しいと思うことになる。

この傾向は今の自分にもある。そしてどれだけ意識しても忘れるときがある。自分の曖昧さを完全に消し去ることが理想だが、それは現実的ではない。だから安易に消そうとするのではなく、曖昧さを受け入れ共存し、どうすれば曖昧さを切り詰められていけるかということを考える必要がある。

自分は当分の間は「最低限の」という言葉を好んで用いて良いと考えている。つまり自分は依然として初心者の域を出ないのであり、したがって基礎を徹底すべき時期にあるのだから、礎となる根幹部以外の細部の曖昧さは妥協しても良いということだ。直感の本質はこの基礎の飛躍にあり、思い付きで遠くまで飛べるところに妙があるのだが、それでも危うさを退けるためには、基礎を徹底し、言葉の機序を整える必要がある。

実に耳の痛い話だが、自分が直感に従いたいのか、基礎を徹底したいのか、という問題はしばしば混合される。どちらを目的にしているのかを自分の中で明確にする必要がある。当面の間は基礎を重視するのであり、直感はできるだけ退ける方向に進める必要がある。このことを自分は記憶しなければならない。

とはいえ、今取り組んでいる創作に関していえば直感を存分に発揮して良いだろうと思う。重要なのはその部分にのみ直感を生かすに留まり、現実問題には厳密な分析を敷く必要があるということを忘れてはならないということだ。この話はくどいようだが、再三自分に言い聞かせる必要がある。