人生

やっていきましょう

590日目

人と関わらない時間が長く続くと、無意識のうちに自分の考えが世間離れしていくと考えてしまう。それを是とする人もいるが、少なくとも自分は最低限社会と交流できる程度の常識感覚は持ち続けていたいと考える。

この常識感覚というのも多くの人が同意しているであろう考えという他には曖昧で捉えどころがないものである。また自分の想定する常識感覚と社会の中で共有されている常識感覚もまた微妙に違うかもしれない。要するに自分は、それが何かよく分かっていないまま、そこから離れようとしないでいる。

この常識や社会性という勝手な信頼、相手もまたこのような価値基準を共有してくれるだろうという感覚は自明のものとなると危険である。勝手に自分が相手も同じ価値基準で生きていると思い込んでいるだけなのに、そうでない場合には不誠実で身勝手だと相手を責めるようになってしまうからだ。

しかし自分はそれでも、人と関わっていく上では最低限の常識感覚は必要だと考える。それは自分が自分だけで生きているわけではなく、多くの価値の異なる人間と共存していかなければならないという現状に置かれているからだ。

自分と異なる人間とどううまく共存するかを考えた時、例えば相手の価値観や人格を攻撃しないようにする、話をしているときは自分の都合を押し付けすぎない、といった規範を内面に築くことは重要だ。それらはまったく自明でなく容易に相対化できるほど脆いものだが、それらを失ったら後は闘争しか残らない。

出来るだけ闘争に陥らず共存するにはどうしたらいいかということを考えると、自分の都合をある程度社会の都合に合わせて考えた方がいいと自分は考える。それはまったく自明なものではなく、それが正しいと言える確信もなく、またそれを人に強要できるものでもないが、少なくとも自分はこのように考え、人と関わらず孤独な状態にあっても最低限の社会性を保っていくつもりである。