一度寝たらアイデアが浮かびゲームの開発が進んだ。試しに作ってみたら手応えがあったのでこのまま完成させる。
自分はストーリーの自然な流れを意識しすぎていた。確かにストーリーはそうあるべきだが、とくにゲームの場合にはストーリーを見せるだけでなく、プレイヤー自身にストーリーを進ませることもまた重要だった。
だからA→Bというストーリーの流れの必然性に必ずしもこだわる必要はなく、A→プレイヤーの探索→Bという流れによって多少は展開の偶然性を演出しても良いということに気がついた。これはご都合主義かもしれないが、この流れにさほど違和感が無いのであればそれで問題は無いと思った。
Aに直面したことで手がかりを完全に失った。しかしBに向かったことで新たな手がかりを得たという演出は、A→Bの場合Bに向かうきっかけや動機が無ければならなかった。しかしBに向かわせるきっかけをいくら考えても、それがどうしても作為的に見えてしまっていた(本来AとBは因果関係として結ぶには無理があった)。
そこでBに向かうための自然なきっかけや動機といった演出をほとんど無くし、ここから新たな手がかりを探すという目的だけを与えることにした。これによりプレイヤーの探索の結果、本来互いに繋がるはずのなかったAとBが繋がった。
確かに作る側からすればこれでもまだおかしいと感じるが、プレーする側からすればそこまで気になることではないかもしれない。作る側は展開がすべて必然のものとして見えてしまっているが、プレーする側にとってはすべての展開が偶然的に見えるからだ。
今日は偶然を演出することを学んだ。ストーリーはある程度前後で必然的な流れであった方がいいがすべてがそうである必要はない。たまたまそうしたらたまたま上手くいった/失敗したということも当然起こる。見栄えはしないが、その方がむしろ自然と言えるかもしれない。