人生

やっていきましょう

613日目

ランクマッチでプラチナ3まで行った後、そこから500RP溶かして今に至る。プラチナ帯とはそういう場であり、ゴールド以上にRPの維持が難しい。

しかしゴールドでRPを溶かした頃よりは精神的に負荷が掛からなかった。多方面で敗北慣れして耐性がついたともいえるが、RPの多寡で一喜一憂する自分に冷めてしまったこともあるだろう。

よく言われる通り、勝負事の結果は他者との比較のために存在するのではなく、自分との比較のために存在すると見ることができる。結局はそれも都合の良い解釈でしかないが、そう思うことで自分の悪いところを見直す機会が得られ、自分の向上心を維持することに繋がる。他者との比較は妬みや他責に繋がりやすく、それはそれで不満を爆発させる良い機会になるかもしれないが、自己研鑽の物語に比べれば後々振り返って虚しくなるだけである。

何度も引き合いに出しているが、RPを大量に溶かす様はまるでシーシュポスの神話のようだと感じる。シーシュポスは神の怒りを買い、岩を山の麓から山頂に運ぶよう命じられるのだが、岩が頂点に至ったら岩は転げ落ち、シーシュポスはまた麓からやり直すのである。そしてその結果は永遠に変わらない。

そうであれば人生とは何と不条理で、何と無意味だろう。あるいは自分は、何のためにapexのランクマッチをプレーしているのか。ネットに氾濫する好成績のスクショや見栄えのする動画群が覆い隠している圧倒的な量の失敗、挫折、苦悩、それらを正面から直視するためである。この痛みに耐えきれず自己正当化の神話に逃げ、自分の目と耳を塞がないためである。

この事実から降り注ぐ刺すような痛みに耐性を得たとき、自分の心に初めて冷静さを築くことができるだろう。それは自己研鑽の虚構を剥奪すれば単に我慢強さという一性質を意味する他になく、そのことが必ずしも何かの成功を確約するものではなく、またそれも結局は自己正当化の亜種にすぎないのだが、しかしその種の冷静さは得難いものであるということもまた事実であり、同時にその機能は自分の弱さを克服する手助けをしてくれるように思う。