人生

やっていきましょう

642日目

ゲームの展開やキャラクターのセリフを考える上で映画は大いに参考になる。違和感のない演出がどのように生み出されているかが分かるためだ。

違和感とは何なのか自分でもまだうまく言語化できていないが、創作を観ている間に受け手の没入が中断されること、それがひとつの正体であるように思う。

この中断はどこで発生するのか。きっかけはいくつか存在するだろうが、自分の場合、違和感は状況の非現実さというよりはむしろ会話の非現実さに覚える。会話が破綻していたり、人物間の合意や拒絶が作り手のご都合主義だったりすると途端に興醒めする。

しかしこの違和感というものはただ自分が感じたものであり、他の受け手が必ずしも同じような切実さで覚えているものではないのかもしれないということを最近考えた。というのは自分がまさに映画を見ているとき、自分だったらこのような演出はしないだろうというものでさえ、気がつけばすんなりと受け入れてしまっているからだ。

自分の創作だからこそ極限まで批判的になろうとするが、作品を楽しみたい他人からすればそんな些細な言葉の粗などどうでもよく、それよりもっと面白い場面を見せてくれという思いの方が強いだろう。自分がまさにそう感じていたからだ。創作をする上ではそのことをよく考える必要がある。