人生

やっていきましょう

646日目

あらゆる問題について作業速度を上げるということを今まで考えてこなかった。しかしこの速さの向上というものは、実は問題を手堅く解決することや深い思索を行うことと同様に極めて重要な要素であると最近感じるようになっている。というのも世の中には一瞬の判断で物事が決まってしまう局面が多く存在するからだ。

自分の人生はこのスピードというものをまったく検討もせず、時間に囚われない無駄な思索に全振りしたようなものだった。だから世間からみれば鈍間に見えただろうし、咄嗟の対応ができないから無能に思われていただろう。

そもそもスピードというものが自分ではよく分かっていなかった。なるほど世の中の時間の流れを無視した思索という起点からスピードという要素を検討することができなかったのは当然だ。スピードとはまさに余分な思索の剥離、省略、停止によって得られるからだ。

自分は何を言っているのか。自分が今口走った安易な考えは誤りを含んでいるのではないか。自分は自分の考えの反証となり得るいくつかの考えに反論することができるのか。ではそれを考えよう...こんな悠長なことをしていたら何もすることはできない。

自分は何をする。そのためにはこれをする。あとはそれをどれだけ素早く引き出せるかだけを考える。そこに葛藤や迷いを挟む余地はない。そうすることによって初めてスピード感のある行動が可能となる。

スピードを出すということはその分失敗しやすくなるということでもある。野良にありがちなオクタンのように、思索を省略することで充分な検討を行わず突っ走って死ぬことはよくあることだ。

だがスピードを出すために必ずしもすべての検討を放棄することはない。誰かが言っていたが、勝負の大半は事前にどれだけ準備できたかにかかっている。迷いや葛藤が生じるのはこの準備を怠っているためである。自分は想定外の出来事にパニックを起こし、それでも失敗できないと焦ってまったく明後日の方向に問題を掻き乱してしまう。そのトラウマからまた同じ不安に駆られ望まぬ失敗を繰り返し、最後には挑戦を放棄してしまう。

いわゆるハイパフォーマンスな人種はスピードに加えて確かな検討を挟んでいるように思う。要点を確実に押さえ無駄な思考を極力省略している。しかし彼らはなぜそのようなことができるのか。

雑な印象だが、まず彼らは準備を徹底する。それが確実な成功に繋がるとは限らないが、目に見える範囲にある対処可能な問題は事前にすべて想定し運用できるようにしている。次に想定外の問題によって失敗することをあまり恐れていない。失敗が自らの人格の否定ではなく出来事の結果として把握できているようだ。そのため失敗したら何が悪いのかを考えどうにか改善することができている。失敗から得た経験が自分の肥やしになると理解している。

こうした試行錯誤の結果、問題にあまり関係ない細部に強迫的になることがなくなり、パニックに陥ることもなく、無駄な雑念に囚われることもなく、要点を押さえスピードを出しながら成果を出すことができているようだ。

問題はそうした人間に自分がなれるか、もしくはそうなることに自分は向いているか、ということだ。はっきりと決めつけることはできないが、彼らの思考には学ぶべきことが多い。自分の関心が無駄な思索の方にあるにしても、多分な無駄を排除して袋小路を解体し、別の視点に意識を向ける必要があるというのは日々感じていることである。自分の反復的で発展性のない考えを愚かにも深淵で奥深いなどと肯定せずに、検討にスピードを取り入れた新たな思索の影響を観察したい。