人生

やっていきましょう

652日目

ここ数年にかけての自分の創作の変化には目を見張るものがある。かつてはどこまでも真剣に自分の内面の苦しみを見つめ葛藤を表現しようとしていたのが、今ではただどうすれば面白くなるかだけを考えている。それが5.6年という歳月をかけてひとつの作品の中で起きているのだから不思議な感覚がある。

去年の秋頃に本格的な修正を加えてから作品の質は大幅に向上した。セリフの違和感は薄れ、曖昧だったストーリーには明確な目的が与えられた。

しかしそれらは、多くの「当時そうでなかったもの」を犠牲にして成り立っている。自分が何も分からずただ暗闇の中で真剣に葛藤し、苦しむことしか出来なかった自分というのは、それがどれだけ陳腐なものであれ、当時の自分にしか表現できないものだった。自分はその痕跡をほとんど消して、現在的な解釈によってストーリーを塗り替えた。

そこでは言うならば詩性や神聖さが失われた。自分の中の高邁な希求心が折れ、どこまでもニヒルな笑いに走っている。更に冷笑は加速して娯楽的な笑いと融合し、冷笑それ自体を冷笑し始めるようになった。それが今の作風だ。

自分は自分を以前よりも直視するようになったが、創作においては更に自分を誤魔化すようになった。この態度には納得できる。自分の中の葛藤や苦しみを誰かに分かってもらおうとしていた自分を否定したいのだ。

こうした苦しみはやはり自分の中で消化すべきで、創作の中ではむしろ自分が面白いと思ったことをやった方が良いと考えた。健全な考えだと思う。しかしそれにより、自分の作品の中にあったある種の真剣さが失われ、どこか薄っぺらいものになったということに自分は気づいている。