人生

やっていきましょう

669日目

作業を行っている時に何かにつけて工程や進捗を振り返るようになった。自分が達成しようとしている目標がそもそもどういうものであるか、それがどこまで進んだかということを、ブログや文章に書き起こすことなく、頭の中で処理する努力をしている。

こうした全体像を記憶から引き出し現状と照合させるという作業が自分は昔から苦手である。自分の場合、記憶というものが常に曖昧で、物事のはっきりとした関係を瞬時に素早く想起することができない。例えば自分は暗算がまったくできない。簡単な四則演算でさえ、頭の中で考えようとするとすぐに関係が分からなくなり混乱してしまう。

なぜだろうか。思うに自分は自分の頭の中に吟味不十分な情報を多く詰め込み過ぎており、意識の焦点が定まっていないのだろう。目の前の問題のことだけを考えなければならない時に、まったく別の問題について考えてしまうようだ。

その一因のひとつが記憶力の無さにある。問題の全体像やプロセスが頭の中に記憶されていないために、その都度想起される断片的なイメージに意識の方向が左右されてしまう。

問題を前にしては、自分は何をしようとしていて、それはどうすれば達成可能であり、自分は今どの程度までそれを成し遂げたか、ということだけを考える必要がある。

ただしこれは別の空想を一旦中断して1からじっくり考えようとするのでは遅いのである。これらを反射的に素早く行う必要がある。なぜなら自分のひとつの問題に対する集中力と記憶力には限度があるからだ。

例えば暗算でいうと、3+2は3つのものと2つのものをひとつの列に合わせて並べた時に5つとして数えられるから5である、と文章にして理解して答えるのでは遅いのである。3+2と見た瞬間、上記の関係を文章化するよりも速く計算して5と答えられなければならない。計算が複雑になるにつれ、それらの関係を文章として理解するには膨大な時間がかかるようになる。それでは記憶と集中力が持たず混乱する。

記憶は自分にとって一層重要である。特に素早い判断が求められるときに、いちいち文献から参照したり1から考えていたのでは判断が遅れてしまう。まさに今、この瞬間にこの情報が必要だというときに、適切な判断を取り出して対処するためには、自分がそのやり方を頭で記憶している必要がある。

ただしそれは暗記である必要はない。暗記とはある特定のパターンをそっくりそのまま記憶するということだが、そのパターンが問題によっては常に再現可能であるとは限らず、またなぜそのような関係にあるのかを十分理解せずに解決できてしまうため応用が効きにくい。その情報があらゆる状況下での"必要に応じて"頭の中からいつでも的確に引き出せるということが重要なのであり、一辺倒な暗記に頼るべきではない。