人生

やっていきましょう

692日目

ゲームの開発を進めた。進捗を確認した際に気になった部分の修正と、ストーリーの続きの部分の作成を行った。

気になった部分について少し考えた。主要な問題は2点、言葉の使い回し方と笑いのマンネリ化だ。

自分が台詞を作る際にはいくつか注意していることがある。言葉が一読して把握できるかどうか、言葉遣いが適切か、意味のない言葉を使っていないか、会話のキャッチボールができているか、聞こえが良いか、臭みはないか、などだ。

これらのいずれかが失敗している台詞はどうしても違和感がある。生きた台詞ではなくなり、記号の羅列のように聞こえてしまう。

今日自分はいくつかの台詞の違和感をなくすことに成功した。頭で考えた言葉の羅列を誰かが言いそうな自然な言語に置き換えた。この作業には骨が折れた。

一方で笑いのマンネリ化には対処できなかった。笑いの導き方がワンパターンで始めのうちは自分でも面白い線を攻めていたと思えていたものが、今ではそれしか出せないのかと不満に思っている。

自分の笑いのパターンは大抵、真面目なストーリーが進行している間に冷笑屋が割り込んで物語を台無しにする一言を平然と言い放って気まずい雰囲気を作り出すというものだ。この爆弾発言が事実に即しており主張として妥当なものであればあるほど面白く、この冷笑屋が物語をじわじわと破壊していく様がゲームの見どころとなっている。

だがあまりにこの冷笑屋に頼りすぎてしまったために、物語全体が冷笑仕草に侵食され不愉快なものになってしまっている。物語に没入したいキャラクターたちの台詞のひとつひとつがこの冷笑の餌食となり、彼らのキャラクターとしての魅力はすべて失われた。この冷笑屋だけがゲームを支配しており、物語は単なる茶番として進行させられていることをプレイヤーは嫌でも自覚してしまう。

はたしてこれは面白いのかと思う。物語を壊す笑いではなく、物語を生かす笑いを生み出す方法はないのか。おそらくあるにはある。だがそれは結局のところ冷笑の破壊力には勝てないだろう。だがやらないよりはやった方が多少はマシになる。

笑いのマンネリ化を防ぐためには、当然冷笑の切り口を多様にし、多角的に切れ味の高い言葉を生み出していく必要があることはもちろんのこと、それ以外にも別の笑い、とりわけギャグの本流から大いに学ぶことも重要だろう。

ギャグの定石として、動作や台詞をわざと誇張したり、敢えて本人が意図しない失敗を行わせるというものがある。この発想からいくつかシーンを作ったが、若干ありきたりな印象を受けるもののこれはこれで面白いものができたと思う。

奇妙なことにこれらのギャグには冷笑を挟む余地がない。冷笑がわざわざ指摘するまでもなく誰がどう見ても滑稽なので、冷笑を挟むとかえってつまらなくなる。したがって冷笑屋の出る幕がなくなり物語が物語として息を吹き返しつつある。

第三章はとりわけ冷笑に頼らずギャグやストーリーを中心とした演出を心がけたい。当然冷笑屋にすべてを破壊させるが、それらがマンネリに感じないほどに物語の色合いを強めて行きたい。