人生

やっていきましょう

697日目

前回開発途中だった部分からゲームを作り始めた。ある程度は進んだが、早い段階で行き詰まった。自分が作っているものが面白いものだとは思えなかった。

前から面白いものを作ろうと思ってその通りのものが作れた試しはないが、改めて面白いものが何であるかということを自分が理解できていないことに気がついた。何か意外な展開を与えて笑いを起こしてやろうと考えているのだが、いずれもどこかで見たような展開ばかりでどこかうすら寒く感じる。できれば何度も同じ手法を使いたくないと思っているが、他に思いつかないので仕方なく手を変え品を変え同じ演出を工夫して見せ変えているという状況にある。

先日記録した、冷笑とは別種の笑いを組み合わせることで新たな方向性を見出すということについては今でも同意しているが、笑いの方向性それ自体を変えることにそれほどこだわる必要はないと考えている。つまり冷笑的なユーモアで笑いを取ろうとして失敗しているならば、その方向性に問題があるのではなく扱い方や対象に問題がある。

自分が生み出した笑いがつまらないと感じてしまうのは、その笑いが意外性のあるものではなく、「意外性のあるもの」として既知のものとなってしまったからである。笑いに対してまたこのパターンかと思ってしまっては、笑いは大変つまらないものになってしまう。

言語化することが非常に難しいが、冷笑という方向性を踏襲しつつ、自分でさえも予測できなかったような方向から、頭をガツンとやられる笑いを表現できることが何より望ましい。そのような創造的なアイデアは人を笑わせてやろうとか、こういう笑いを生み出してやろうとかいう計画的な発想からは決して生まれず、どうでもいいときに偶然的にひらめくものである。そういった笑いを表現したいが、どうすればそれが思いつくのか分からないので、ただ降りてくるのを待っている状態にあるのだが、これでは一向に完成しないので、いい加減諦めなければならない。

確証はあまりないが、こうしたひらめきは自分の頭の中の情報の関連付けが活発になれているときに起こりやすいと感じる。視野が開けており、様々な情報、様々な視点が自分の頭の中に部分的にひっかかっているとき、それらが自由に連想されて奇抜な視点が生まれてくるというイメージがある。現状そうでないとするならば、今の自分は視野狭窄で、固定観念に縛られ過ぎている。日頃から事実がどうとか言っているのだから割と頭は固くなっているのだろう。

apexに日夜取り組んでからというもの、こうしたアイデアを膨らませる方向に思考は広がらなくなった。自分の意図する方向をどう実現させるかということを反射的に判断するという力だけはついたような気がする。反射的に有効な手段を導き出すという思考の癖が、結果的に使い慣れた笑いの手法を導き出し、皮肉にも笑いの面白さを半減させていると考えるのは言い過ぎだろうか。そうでないにしても、fpsに取り組む際の頭の使い勝手とはまた別のやり方であるということを認める必要がある。