人生

やっていきましょう

710日目

キャラを差別化するということを意識してからセリフや演出の場面が作りやすくなった。これは主要なキャラクターばかりでなくその場限りのモブとの対話であっても同じことが言える。またそうすることにより物語としての質も大きく向上した。

差別化される前の表現は、事務的であり、理性的であり、可読性を高めるという作者自身の関心に従って、万人に等しく意思疎通が行き渡るような、きわめて標準的な文章で行われていた。だがこうした表現はブログで進捗を記録する分には良いかもしれないが、演出としてはつまらないものである。

例えば、ある問題がこのような経緯で生じており、したがって有効な手段は以下の云々を達成することにある、といった説明に対して、あらゆるキャラクターがその言葉を理性に基づいて同じように評価し、同じように合意するというのは見ていて面白くない。そこにはただ機械的な意思疎通があるだけであり、人間味が感じられない。

同じ説明を受けるにしても、例えば話す側がイヤミな人間だったらどうだろうか。彼らは主人公たちの実力を低く見積もり、こんな連中に達成できるわけがないと高を括っている。それを受けた主人公たちは不快に感じ、キャラによっては成果を出して彼らを見返したいと思うかもしれない。

あるいは言葉が通じない未開の部落の村長から任務を依頼された場合はどうなるか。主人公たちは意思疎通の困難さに戸惑い、ある人はノンバーバルなやり取りで意思疎通を試み、別の人は早々に諦め、またさらに別の人は言葉が通じないことを良いことに母国語の侮蔑語をからかい半分で根付かせようとして楽しむだろう。

こうした感情の多様な動きが存在すると物語に深みを持たせることができる。個性や感情を極力に排した表現は、いかなる表現であれ情報の意思疎通以上の意味を持たないが、そこに感情や個性、各々の思惑を介入させることで、些細なやり取りにも心情的な対立や協調が生まれ、そこからまた物語が進んでいくきっかけを生み出すことができるように思う。