人生

やっていきましょう

731日目

相手に悲壮や憐みを感じさせない程度の自虐、つまり自分の失敗や欠陥を笑い話にして盛り上がるということが、自分が他者と交流する上で身に着けたひとつのやり方である。あたかも自分がピエロであるかのように、自分という人間が劣等な人間であると周知してもらうことが、自分にとって唯一他者の信頼を獲得できる手段だった。

自虐というものは、自らの自尊心を犠牲にすることで、こちらの失態を見て笑う者であれば誰であっても交流を得ることができるというものである。とりあえず自分を笑いの種にすれば、様々な人間と交流できる。かつて自分は人間関係が不得手でありながら、それで多くの人間と関わってきた。

こうした無差別的な自虐は、人と関わる能力が無く、しかし孤独を感じていた自分が、どうにか他人と関わろうとして身に着けた術であった。しかし無差別的な交流というのは結局のところ自分を苦しめるばかりだった。自分の失態を見て笑う人間というのは、必ずしも自分の価値感に適う人間ばかりではない。自分の失態を見て優越感を感じられるために自分に近づいてくる人間も少なくはなかった。

初めのうちは、自分が本来関わることのない人間たちと交流できることに新鮮さを覚えていた。しかし今となっては自分と合わない人間とは元々関わるべきではなかったように思う。やはり価値観が違う人間と関わることは心底苦痛である。特に相手がその価値観を決して疑わず、異なる価値観の存在を認めていない場合には、これ以上関わる気がしなくなる。

自分が何を好み何を嫌っているか、何を許容でき何を許せないか。それらの要素を検討することが、自分がいかに人間関係を快適に築くことができるかを決める。自分が自虐に走ったのも、自分の価値観を明確にすることで誰かと対立することを恐れてきたからである。しかし誰とも対立しないことの対価として、自分の自尊心はほとんど破壊尽くされ、心は死にかけ、誰に対しても何もストレートに言えず、それでも自虐をせずにはいられないという状況を長引かせてしまった。

自分は自分の価値観に合わない人間とは関わる必要はない。自分が関わるべきなのは自分と価値観の合う人間、もしくは価値観が異なっていても異なる価値観を尊重し、自分を対等な人間として扱ってくれる人間である。