人生

やっていきましょう

755日目

自由について不安を感じることがある。無数の選択を否定する理由は存在しないが、その選択を肯定する正当性もまた存在しない。外部の何某かが与えてくれる価値づけに確たる後押しはなく、いつだって自らの選択に責任を持たなければならない。こうした前提に立つとすべてが疑わしくなり、何をしたらいいのか分からなくなる。

この問題について明確な答えは存在しない。しかし人の性格が異なれば、この不安についての捉え方も変わってくる。自分の選択に自信がある人なら、自由は選択の幅が広がるチャンスと捉えるだろう。また自分の価値判断の軸が定まっている人なら、自身を肯定する根拠として自由を持ち上げるだろう。

結局のところ自分がこの種の不安を抱くのは、自分自身をまったく信用しておらず、自らの選択に自信を持っていないからだ。自信を持てと言いたいが、自信の根源がどこにも無い。だから何も肯定できず、信念を守ろうとする動機もない。

誰かが決めてくれたらとも思うが、そう思ってしまったからこそ自分はこれまで他者に価値判断を委ねその都度後悔してきた。他者は好き勝手に物を言うが、話した相手の人生に責任を持つということはない。だから自分は自分の考えに従って選択した方がまだいいと考える。

どうすれば自分の判断や価値観に自信が持てるのか。おそらく以前にも書いたように、経験を積み修正を重ねある程度成果が安定することで不安は和らぐのだろう。自分が信じられず何をしたらいいのかわからないのは何もうまく行く気がしないからで、何かひとつでも上手く行っていれば無数の問題は対処できなくとも上手く行くことだけには不安にならずに済む。

確かな自信を感じるには自分の実力以下の課題に対して成果を出せると認めることが重要だ。自分の性格上、無謀にも自分の実力以上の課題に捨て身で特攻し、何時間も失敗し続けてたまたま上手く行ったときに喜ぶという取り組み方をするが、これでは自尊心は削られていく一方で精神は安定しない。自分に簡単にできることができてなぜ自信に繋がるのかと自分は思いがちだが、そうした簡単にできることの集積が自分の得意不得意を明らかにし、何をすれば上手く行きやすいかという方向を示してくれる。

自分が今陥っている無能感は、自分には実際何ができて何ができないかということを無視しているという点で、あらゆることが自分にはできると信じる万能感に近い粗さを感じる。実力以上の課題に取り組むのは重要なことだが、根拠もなく突撃するのではなく、実力に対する確かな自信、確かな根拠があってはじめて取り組むべきだと考える。