人生

やっていきましょう

759日目

創作をしていると自分は感情を表現することが苦手だということを実感する。また感情を表現する作品が苦手だと感じていることも分かった。自分の創作は共感を訴えるものではなく、何か異質なものをぶつけて面白がらせるといったものであるように思う。こうした系統の作品には自分は関心を示す。

自分の創作における関心は「何かを台無しにする」という点に尽きる。感動的なシーンを台無しにしたい、壮大なドラマを一瞬にして陳腐なものにしたい、こうした意図がみられる作品は大抵自分の好みに合っている。自分がRick and mortyという海外のアニメに惹かれたのはそういう経緯がある。おそらく自分が見てきた作品の中で最も上手くそれが表現できていると感じる。

しかしただむやみに秩序をぶち壊すような作品は面白くない。換言すれば、そこに作者自身の破壊的な優越心が見え透いたような作品はあまり好きにはなれない。(自分がチートを使って無双するというジャンルを好まないのはそのためである)。何かを台無しにすることで発生する純粋な笑いは、優劣の変化が著しく行われる全方位に向けられる無差別の混沌であるかどうかが重要であると考える。

また台無しにする上で最初から最後まで陳腐であり続けるということも面白くない。こうした作品が嫌いというわけではない(むしろ好ましく思うことさえある)が、自分としてはある種の品性をそこに宿らせた方が面白いと感じる。これは単に自分が下品であり続けることの単調さやその限界に失望しているためである。ある種の人間は理性を放棄した狂気を描こうとするが、その狂気は驚くほどにどれも似通っている。下品な笑いというのは簡単に笑いを取りにいけるが、パターンが限られているので何度も聞いているうちには飽きてくる。だから自分はその作品に独自に宿る奥行き(品性)を感じさせる創作を評価する。自分はストーリーを台無しにし続けるが、その背後には少しだけ奥行きを感じさせるように努力している。

こうした面白さに対して自分はあまり自信を持てていない。はたしてこれは本当に面白いのだろうか。以前書いたように、共感的な作品について自分は全く称賛したいという感情が起こらない。しかし世間ではそうした作品が評価される。そのことに不安がある。しかし不安からプレイヤーに媚びを売るくらいなら、別にウケなくてもいいと割り切って独自性を追求すべきだと思う。商業作家ではないのだから、そこは自由に設定する余裕がある。