人生

やっていきましょう

767日目

東京オリンピックが始まった。コロナ禍の中で開催自体に物議を醸すような事態となったが、実際に開会式は行われ報道はオリンピック一色となった。ここではその是非について論じるつもりはない(オリンピックの開催で感染リスクが高まるという懸念と、日々練習を積み重ねてきた選手達の思いを考えると、未だにどうしたらよかったか自分でもよくわかっていない)。ここでは単に自分のこととしてオリンピックに抱いた感想を書く。

東京オリンピックの開会式を見て、自分はどこか遠い国の出来事のように思った。それが日本であり東京で行われているという印象を全く抱かなかった。他所の国で開かれるオリンピック同様、ふと見たときにテレビで流れている番組でしかなかった。

ただそれはオリンピックに対する否定的なイメージなどではない。率直に言えば非現実的な空想の世界だった。コロナウィルスの被害者が増え続けどこか暗いニュースばかりが続く中で、オリンピックだけは相変わらず明るかった。このイベントだけは2019年以前のテンションで盛り上がっていた。だから自分はこの一連の出来事を夢のようだと思った。

こうした盛り上がりが鬱屈とした人々に希望を与えるという見方がある。確かにメディアがスポーツ選手の功績を騒ぎ立てたところで関心の無い人にとってはいい迷惑でしかないかもしれない。しかし自分はオリンピックの盛り上がりを見たことで多少は明るくなった人間の一人である。自分の人生とは全く関係のないどこかのスポーツ選手が試合で成果を出した、ただそれだけのことに自分は素朴な賞賛を覚える。

これは自分がスポーツというものを根本的に好んでいるということに起因するだろう。人と人とが競い合って成果を残すということが、その結果がどうあれ自分の心を強く揺さぶる。大技が出れば凄いと思い、僅差で負けると自分も悔しくなる。

自分が印象的だった試合は男子スケートボードの決勝戦だ。たまたまテレビで流れていたから見ただけだったが、ボードに回転を入れながら手すりを滑るという技を見て面白いスポーツがあるものだと感心した。

今年が初の競技ということで目新しさもあったのだろうが、自分がこのとき思ったのは世の中には様々なスポーツとその選手がいるのだということだった。自分の関心が完全に内向きだった頃、世の中の多様さに目を向けるということが今までほとんどなかった。だが今回多種多様な試合を目にしたことで、自分は自らの視野の狭さに気づかされた。自分が知らないことについては、自分は驚くほどに単純に捉えているのだと知った。

オリンピックはまだ続くが、自分は機会があったら他のスポーツも観てみたいと思った。こうして見るとオリンピックにeスポーツがあっても良いように思うが、ゲームが多様であることと一企業の産物であることを考えると実現はまだ難しいかもしれない。