人生

やっていきましょう

781日目

自分の創作のテーマについて考えた。このゲームで自分が表現しようとしたものは、おそらく笑いとは何かというものであるように思う。要するに自分が最も笑えると思えるような作品を作ろうと数年間奮闘しているのだが、ストーリーの修正も中盤に差し掛かりなんとなくその答えが見えてきた。

自分の見出した笑いとはギャグと冷笑である。ギャグとは誇張とギャップを駆使した勢いのある笑いであり、冷笑とは(定義が難しいが)自明の前提を敢えて相対化し、その本質が陳腐なものであるということを暴き立てるような笑いである。どちらも破壊的な笑いであって、自分はこの両者を用いて自らの物語を破壊し尽くそうとしている。

しかし注意しなければならないのは必ず物語の勝利で終わらなければならないということである。主人公が目標を早々に捨て、物語を投げ出して終わるという笑いはたしかに面白いが、ストーリーとしてはつまらない。なぜならそこで終わってしまうからである。笑いをある程度持続させ物語を完走させるには、こうした破壊的な笑いに耐え得る強固なストーリーラインを要する。したがってゲームの本筋は真面目に作っている。

また物語が脇役で笑いが主役であると勘違いをした作品は大抵薄ら寒いものになる。それは笑いを感じる主体の優越が見え透いてしまうからである。冷笑が主役になるとただの作者の愚痴になり、ギャグが主役になるとただの無差別的な暴力になる。物語が主役であればこそプレイヤーはその横槍的な笑いを享受することができる。

ただゲーム全体を俯瞰すると、どうしても物語よりも笑いが優勢であるという印象を受ける。笑いの優越を感じさせないほどには物語を盤石なものにしているが、かといって物語が笑いに勝るほど優れたものであるとは言えない。率直に言ってストーリーは魔王を倒す勇者の冒険というありきたりなものであり、全く面白くない。そうした汎用さを笑いで誤魔化しているというのが現状である(だから物語が少し浮いたような感じがする)。

この課題については半分諦めている。今からストーリーを実りあるものに修正するとなると更に数年かかってしまう。しかしもう半分では可能な限りストーリーを完成させようという意志がある。昨年の秋にストーリーの修正を始めてからそれまでごちゃごちゃしてよく分からなかった物語が劇的に改善されつつある。それは不要な部分を切り捨て重要な部分にフォーカスを合わせるという努力を行ってきたからだ。この努力を完成まで繋げられたらと思う。