人生

やっていきましょう

799日目

以前自分が開発した部分を見直して改めてひどい出来だと思ってしまった。1年前、自分が全体のストーリーを修正すると決意したとき、その当時は確かに面白いと考えて作っていたそれはどこかうすら寒く、曖昧で分かりにくく、率直に言えばつまらないものだった。

特に見苦しかった2点は冒頭のシーンと三章以前の冷笑屋のセリフだ。冒頭のシーンはストーリーの過去を描く重要な場面だが、セリフが長く冗長でテンポが悪い。情報の取捨選択ができておらず、それらを切り貼りしたものを見せられているような感じがして終始気分が悪かった。最終章まで完成したら、この部分を再度修正する必要がある。

冷笑屋のセリフは、現時点での性格の不一致という点で違和感を起こさせる。三章以前のセリフはとにかく誰かをコケにして面白がっている感情が全面的に出ており、論理を振りかざして好き勝手暴れまわるという印象を与えていたが、三章以後になると感情が控え目になり、ただ冷静に毒を吐いて周りを失笑させるだけの存在になってしまった。

現時点でどちらが面白いかと言えば後者であると言える。理由は前者の場合、彼のセリフからは「誰かをコケにしたい」という著者自身の願望が透けて見えてしまい、それが見ていて不快に感じるからだ(政治風刺が面白いものとして世間で受け入れられなくなった理由に等しい)。後者は毒のある笑いをプレイヤーに提供するという意味で評価できる。ゲームの役割としてうまくはまっているからだ。

ふと1年ほど前、自分はどういうつもりでこのキャラクターを演出しようとしていたのかを思い出した。自分はこの冷笑屋にとにかくゲームを壊して欲しいという思いを込めていた。おそらく自分自身の当時の虚無的感情を投影して、あらゆる演出を全否定しようとしていた。そうした破壊的感情を仮託したのがこの冷笑屋であったような気がする。

しかし今の自分は価値や意味に対する破壊的な感情を持たなくなった。正直なところ創作自体に興味が無くなってきている。今は撃ち合いでどうすれば勝てるかくらいしか関心がない。