人生

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811日目

ハンロンの剃刀という言葉がある。意味は「無能で十分説明されることに悪意を見出すな」というものである。

自分は兎角他人の行動に対して悪意を見いだしてしまう。何か不都合があると自分の名誉が毀損されたように感じる。

しかしそのような目的を持って他人が自分に攻撃する場合というのはあまりない(そのように仕掛けられる不都合は悪意というより冗談に近いものだろう)。また自分がそのように感じてしまうのは他人の侵犯に対する過度な警戒によるものであり、事実悪意があったというよりは悪意があるかもしれないという可能性に対して不安になっているものである。

客観的に見ればこれらの不都合は他者の悪意というよりは単に不都合が重なって自分に不利な状況に追い込まれたというだけの話である場合がほとんどだ。そこで先のハンロンの剃刀の話に戻るが、結局のところそうした不都合は他者が自分に対して都合の良い機会を提供することができなかったという点で「無能」であると説明するだけで十分である(無能という言葉は誤解を招きやすいが、単純に能力がなかった、できなかったと解釈すれば良いだろう)。

例えば自分の善意から他者を立てようとした時、そのことに相手は気づかず期待を裏切られた気分になることがある。しかしこれはハンロンの剃刀に従えば、相手が自分の善意を察知する能力がなかった(要するに無頓着)というだけ、もしくは自分に善意を察してもらえる表現を選ぶ能力がなかったということだけで十分説明できる。

ただ断っておくが、こうした考え方は自分の行動をすべて相手の無能を理由に正当化するものではないし、またこのように考えることが自他との間の問題をただちに修正するわけではない。ハンロンの剃刀は兎角相手に見出しがちな悪意とそのように解釈しがちな自己の偏見を振り払い、問題は自他いずれかの能力的な欠陥に帰着すると冷静に判断する上で有用な働きをするのみである。

こうした考え方を持たなければ、自分が主観的に傷ついたということを理由に自分の中で過度に誇張された相手の悪意に対して被害妄想的な非難を無自覚に繰り返すということになりかねない。かつて自分は最も精神が不安定だった時期に危うくそうなりかけたことがあり、その反省から今ではハンロンの剃刀を自分の陥りやすい偏見に当てるよう注意を払うようになってきている。