人生

やっていきましょう

823日目

ナンセンスな情報を詰め込んで、騒音や雑音をごちゃまぜにして勢いで笑わせに来る笑いというものを自分は好んでいた。今でも好んでいることには相違ないが、最近はどこか違和感を感じるようになった。

元から違和感しかないようなものだが、自分が感じている違和感の正体は、それらがカオスな笑いという確立された「ジャンル」の上に成り立つものになってしまい、そうした笑いを生み出そうとする後進者が、次第にそれら既存のジャンルを(半ば無意識に)前提として似たようなものを生み出してしまっていることである。

何が起こるか分からない、作者が何を考えているのか分からない、というのがそれらの笑いの肝であったのだが、作者がそういうものを目指そうとしていると感じてしまった時点で、面白いには面白いが少し冷静になって見てしまう自分がいる。

これは作り手が悪いというよりは、自分が慣れてきてしまったのだろう。何度も同じ曲を聞いて、またこれかと思ってしまうようなものだ。おそらく見慣れない人間にとってそれらは斬新で面白いものであり続けるだろう。自分にとってもそうあり続けて欲しいと思っているが、どういうわけかどんな騒音やナンセンスな素材を投げられても、笑いはするが次第に真顔で見るようになってきている。

こうした慣れが起こったものは数多くある。クラシックやミニマルミュージックも最近では聞きなれてしまい聞く機会が減った。APEXも最近では体験というより作業になった。かつて記録は自分を生かすためだと本気で思っていたが、今では書いても書かなくてもいいものになり下がった。

自分がかつて面白がっていたものがどんどんどうでもいいものになってきている。それがつらい。自分の心の拠り所はもうほとんど残っていない。長い間自分は何が面白いか分からなくなってきていたが、ここに来て更にその傾向が進行したようだ。