人生

やっていきましょう

834日目

マインクラフトのとある海外のサーバーがYoutubeで話題になった。動画が面白かったので実際に入ってみたところ、その動画を見た大勢の日本人が待機所に溢れていた。定員超過で入るまでに300人程度の列に並ばなければならず、それが消化されるのには12時間以上経たなければならなかった。

プレミアム特典を1500円程度で買うと列の頭に優先的に並ぶことができるが、プレミアム購入者が割り込んでくる度に無料ユーザーが後回しにされるので、たとえば300人中60番目の位置に並んでいても自分が90番目に押し戻されるということがあった。つまり優先権のある人間がログインし続けるとF2Pは永遠にログインすることができない仕様になっている。そのため数時間は90と80の間を行き来するという事態が発生し、気が遠くなりそうだった。実際朝の11時から並んで入れたのは翌日の午前3時だった。

ところでキューと呼ばれる待機所では日本人同士が何やら喧嘩をしていた。日本人が日本語をしゃべり、それを別の日本人が日本語や英語で止めようとするというものだった。そういうルールだから守れないガキはサーバーに入ってくるなという言い分だった。その割には彼らが英語のコミュニケーションを取っているログは流れておらず、要するに治安を乱す邪魔者を排除し日本人としてサーバーに良い顔をしたいだけなんだろうと思った。

偏見かもしれないが、日本人は海外に対して良く見られたいという欲求があるように思う。そういう感情は当然自分の中にもあり、日本人が何か海外で悪さをして日本人がそういうものだと見られたくないと思うことはしばしばある。

今回の件についても、全チャットが基本的にEnglish onlyのサーバーで日本語を使っている日本人に対して日本人が憤る気持ちが分からないわけでもない。事実、自分の及び知らぬところでいわれも無い偏見を持たれるというのは確かに迷惑だ。

しかし直接怒っている方も傍から見れば面倒であり、彼らが喧嘩をすればするほど日本人のDon't use Japaneseで溢れてログが荒れるばかりである。そうした誤解を避けるために日本語と英語で同時に発信する人間もいるが、仮に指摘をするだけなら本人に合わせた言語を使えば良く、つまるところ彼らは単に我々は海外鯖の自治を守る意思があるというポーズをとって友好的姿勢をアピールしたいだけなような気がしてならない。

こうした感情は「恥」というべきものだ。何か問題分子が現れたとき、自分はこの人間と同じグループの人間だが同じ問題を抱えているわけではない、ということをしきりにアピールしたがる感情だ。

だが見方を変えれば、問題分子が勝手に問題を起こしているだけであり、同じグループの人間であっても自分には関係ないとみることもできる。実際の企業の上司や部下の関係にあるわけではないので、同じ日本人として連帯責任があるわけでもない。そう考えると「恥」という概念は自分がその問題分子と不可避的に同グループに押しやられているという前提を強く必要としていることがわかる。「(海外から見られる)日本人」というひとつの巨大な組織の一員として、これまで日本人が築き上げてきた信頼を損ねるような真似はするなという強力な圧が、誰から言われたわけでもなく自ら進んでかけられているように思える。その一員に自分も属しているということを度々自覚する。

そのように感じたものの、しかし何度も言うが、そう思う彼らの気持ちというものも分からないというわけではない。他人の領土に土足で踏み込んで土着のルールを蹂躙するというのは元からいた住民にとってはたまったものではない。なぜ日本人を嫌うのですかと日本語で訴えていた日本人がいたが、日本人が迷惑なのではなく、自文化の前提を異文化で当然のように適用して振舞うことによって生じるいくつかの問題に対して無自覚な人間が迷惑であるということである。日本の母国語は日本語だが、突然外国人の大勢の集団が日本に流れて外国語を当然のように話し始めたら、自分はあまり良く思わない。

だがそれは起こってはならないことではなく、起こり得ることである。郷に入れば郷に従えは先人の知恵と呼ぶべきものであるが、その知恵を全ての人間に適用することはできない。こうした文化間の繊細な問題に無頓着な者もいれば、分かっていてやっている人もいる。「俺らは日本人だからどこでも日本語を話す、それを妨害するのは自由の侵害だ」と言っていた人もいる。彼らは彼らの考えがあり説得することは難しい。

自分は他人を説得することがいかに困難であるかを身をもって知っている。自分の言葉が他人に通じないことに憤りを感じネットで6時間も張り付いて説得を試みたこともある。他にも何度か他人と衝突し粘り強く口論をしたことがある。しかし他人は変わることがない。他人自身が納得して自分で変えなければ、他人は変わらないのである。

今回の問題について言えることは、ある母国語を話す人間が大量に押し寄せてきた場合、その国の母国語がそのサーバーの標準語よりも優先されるということは当然起こり得る問題であり、すべての人間がサーバーの標準語を自主的に守るということは不可能である(当然、彼らの多くはその標準語を知らない)ということだ。

そのためもし大量の日本語が溢れて迷惑になるということを懸念するならば、運営の側で日本語自体の入力を打ち込めないようにしたり、日本語話者が日本語でコミュニケーションを取れるような場を設けるべきである。それを運営が選択するかどうか、それにより生じるリスクやコストとどう向き合うかはさておき、問題に対処するならば人間を変えようとするよりも環境を変えた方が良いというのが自分の考えである。

そういうわけで自分は待機所で静観を決めているが、こうしたネットの辺境で異なる文化が衝突し問題が生じるという事態を生で観測できるのは面白いと思った。今まで異文化理解というものを教科書的な知識でしか理解していなかったが、こうしたネットの集団移民によってある文化の言語が駆逐されたちまち浸透していくこと、それにより既存のルールがたちまち機能しなくなるということ、その結果様々な問題が生じることを、まさに自分が当事者として目撃し、体験するというのは自分にとって良い学びの機会だと思った。