人生

やっていきましょう

897日目

apexを始めたきっかけについて思い出していた。Twitterのタイムラインがapex一色で埋め尽されていた、知り合いの多くがやっていたので誰かと一緒にプレーできると思っていたのが主な理由だった。時代の流行に触れてその盛り上がりを肌で感じてみたいという思いもあったかもしれない。

今ではほとんどの人間がapexをやっていない。当時の異様な盛り上がりは下火になり、知り合いもほとんどがやめた。未だにプレーを続けているのは自分くらいである。タイムラインや知り合いの多くは次の流行を追っているようである。自分はついていけないと思った。

昔自分は流行に流されることを嫌悪していた。そんなものより自分の好みを優先した方が良いと考えていたからだ。一方近年ではその頑なさによる視野狭窄を恐れて積極的に流行を追うようにしていた。

最近は、再び昔の自分に戻ったような気がしている。流行は自分の視野を広げたが、自分をいっそう盲目にした。無闇に流行を追ったところで自分に根付かなければ意味がない。流行を追うあまり手段と目的が逆転していたようである。

自分は流行を追う人間とは相容れない人間だと改めて自覚した。流行の本質とはその話題性であり、コミュニケーションが加熱するトピックになり得るものならなんでも良いのである。

彼らはコミュニケーションを取ることが目的であり、自分はゲーム体験を追求することに目的があった。この違いを自覚してから他者に追随することの不毛さを悟り、無闇に流行を追うことはやめた。

とはいえ流行に対してアンテナを張ることは十分意義のあることだ。自分の中のトレンドは閉塞状態にあり、新たな変容を求めている。そのため流行だからといって毛嫌いするのではなく、流行に触れて自分の関心に合いそうなら進んで自分に取り入れるべきだと考えるようになった(今自分の関心のある流行はエルデンリングであり、来たる発売に備えてsekiroを購入するか検討しているところである)。